雑の消滅。

 ふと気がつくと自分にとって身近にあったものが最近幾つか姿を消していた。


 これまで食べた中で一番好きだったつけ麺を出す店が暮れのある日に前を通ったら別のラーメン屋になっていた。


 ちょっと苦手な店だったけど、僕がこの町に住み始めた時からあった古本屋が今年に入ってもぬけの殻になっていた。野口冨士男「感触的昭和文壇史」(文藝春秋)を買った店だった。


 毎朝、ミックスサンドと牛乳を買う職場近くのコンビニが今週の月曜日に入ると棚から雑誌がなくなっており、それから毎日だんだん店から品物が消えて行き、昨日閉店した。インギンブレイな店長がちょっと癪に障る店だったが、長い坂を下りきったところにある給水所のような存在の店だったのに。昨日からどこで朝食を買ったらいいか迷走を続けている。


 嫌なこと、寂しいことを挙げていけば切りがない日々を送っているが、いいことがないわけでもない。


 例えば、西村賢太芥川賞受賞は小気味いいニュースだった。受賞会見には思わず笑ってしまった。


 今週、本屋には白くまばゆい朝吹真理子「きことわ」(新潮社)とぶっきらぼうな黒い装幀の西村賢太苦役列車」(新潮社)が共に平積みにされている光景がなんとも不思議で楽しく、迷わず黒い方の1冊を買った。

苦役列車

苦役列車

 前から何冊か読んでいたが、やはりミーハー心が動き、賢太祭を始めてしまう。読みさしであった「二度はゆけぬ町の地図」(角川文庫)を鞄に入れて読み始め、最新短編「腐泥の果実」が掲載されている『新潮』2月号を手に入れた。

新潮 2011年 02月号 [雑誌]

新潮 2011年 02月号 [雑誌]

 『新潮』2月号には他に石田千さんの「あめりかむら」という100枚の中編も載っており、まずこちらから読み始めた。これまでの石田さんのイメージとはちょっと違う激しい感情が爆発するラストまで一気に読んだ。作中に2度だけ出てくる〈骨を見るほどの仲ではない〉という表現に心をつかまれる。こういう言葉を紡ぐ人である石田さんに僕は信をおく。


 昨日の本屋の平台には村上春樹「雑文集」(新潮社)が並んでいた。もちろん、買う。

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

 家で、村上春樹「前書き」と安西水丸和田誠「解説対談」を読む。

 村上氏は単行本未収録の中からどの文章を載せるか苦心したと書いている。彼が考えるスタイルに合わないものを慎重に排除し、消していくいつもの姿がなんとも微笑ましい。「雑文集」と言いながら彼にとって“雑”と思える文章は丁寧にピンセットで抜き取られているといった感じ。そういえば、彼の小説では色から象までいろいろなモノが消えていく。特に魅力的な女の子はかなりの確率で消えてしまうよね。


 さあ、アジアカップの決勝戦が始まった。観なきゃ。