来年の暮れのために。


 毎年この時期になると腸炎がやってくる。年内の仕事に一段落つき、忘年会が重なるこの時期に合わせるように身体が悲鳴を上げるのだ。


 21日の朝から腸炎を思わせる嘔吐感を感じながらも当日の2つの忘年会をやり過ごし、22日の朝には通常の空腹感を胃袋が訴えていたので気を許して昼にカツカレーを食べたのが災いし、22日の夜からまた不快な嘔吐感が戻って来た。そのため今日は仕事を同僚に頼んで家で静養することにする。


 寝床に横になりながら読みかけのままになっていた黒岩比佐子「パンとペン」(講談社)を読み始める。

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い


 大逆事件後という社会主義者にとっての“冬の時代”に彼らがしぶとく生き抜いて行くための手段として堺利彦が作り出した「売文社」という何でも屋の編集プロダクションが登場する第六章から。

 「売文社」がどれだけ多岐にわたる仕事を請け負って来たかを黒岩さんは多くの資料を背景に手際よく読者の前に並べてくれる。この「売文社」の存在を読者に伝えたいというのが「パンとペン」を書いた動機のひとつであろうから、黒岩さんの文章もどこか楽しげである。


 第七章の扉にある売文社の機関紙『へちまの花』の写真を見るとレイアウトに心が配られており、とても見やすい紙面になっているのが分かる。『へちまの花』から『新社会』と改題してからのエピソードであるが、雑誌のレイアウトにこだわり、広告文も字数がぴったりおさまっていなければ気が済まなかったという編集者としての堺利彦の姿を黒岩さんは伝えている。この“編集者としての”というのが、黒岩さんの人物評伝を読む時にいつもポイントとして浮かび上がる。村井弦斎国木田独歩もそしてこの堺利彦も、書き手であると同時に編集者でもある。最初の著書であった写真家・井上孝治の評伝を例外として黒岩さんが興味を惹かれ評伝を書こうとする人物はみんな編集者としての側面をもっており、それがその人物の特徴のひとつになっている。そして、これまで光が当てられてこなかった彼らのこの側面は黒岩さんの著作によって世間に知らされることになったと言ってもいいだろう。「『食道楽』の人 村井弦斎」、「編集者 国木田独歩の時代」、「パンとペン 社会主義者堺利彦と『売文社』の闘い」を読むことがなければ、村井弦斎国木田独歩堺利彦を編集者として見るという視点を我々が手にすることはなかったと思う。


 「パンとペン」は1919年に売文社が解散するところで終わりを迎える。その後1933年に堺利彦が没するまでの十数年間は終章で駆け足で辿られるだけになっているのが少し寂しい。とくに「第二の大逆事件」となったかもしれない関東大震災における堺利彦について黒岩さんの筆でもっと詳しく書いてほしかった。それも黒岩さん亡き今となってはかなわぬ願いだ。


 もし、黒岩比佐子さんの寿命がもっと長いものであったら、今後どのような人物のどのような側面に光を当てた文章を書かれたのだろうかという疑問は、その著作を愛読した人の胸中に共通して浮かぶものではないかと思う。その疑問の答えを聞くことができないというだけでも黒岩さんの死は残念でならない。


 黒岩さんの存在を知ったのはいつどこでだったかよく覚えていない。この日記を読み返してみると最初に名前が出てくるのは、2005年7月5日だ。「伝書鳩」(文春新書)が探求本の1冊としてあげられている。この本の著者として僕は黒岩さんと出会ったということだ。7月21日には無事「伝書鳩」を入手している。

伝書鳩―もうひとつのIT (文春新書)

伝書鳩―もうひとつのIT (文春新書)


 僕が黒岩さんとお会いして初めて言葉を交わしたのは2006年10月22日の秋の不忍一箱古本市の時だ。“サノシゲ食堂”という店名で本を出品していたところに黒岩さんが通りかかり、「晩鮭亭日常」を読んで僕の存在を知っていたので声をかけてくれたのだった。


 黒岩さんと一番長くご一緒したのは、2007年2月11日に東京堂で行われた四方田犬彦さんのトークショーの時である。「月島物語ふたたび」(工作舎)の刊行記念として行われたトークショーを聴きに行き、終了後、工作舎の石原さんに声をかけてもらい、同じ会場にいたライターの北條さん、黒岩さんとともにトークショーの打ち上げに参加したのだ。この夜は、次から次へと様々な話題がエネルギッシュに飛び出してくる四方田さんの「動」とそれを穏やかに聞きながら時折出る発言の中に明治への強い関心をにじませる黒岩さんの「静」の対比がとても印象的であった。


 黒岩さんと最後にお会いしたのは今年の6月26日に東京古書会館で行われた「古書の森逍遥」(工作舎)の刊行記念トークショーのときである。仕事でトークショーには間に合わず、2階の展示コーナーで行われていたサイン会に参加し、その場で買った「古書の森逍遥」にサインをしてもらった。本に名前を入れてもらうために名刺を差し出すと「こちらにお勤めなんですね。初めて知りました。」と微笑まれたのが今でも記憶に新しい。多少痩せられてはいたが、いつもの黒岩さんの凛とした姿は相変わらずで、同じ病いであっという間に父親を失った経験はあったものの、黒岩さんは大丈夫なのではないかと思い、どこか安心した気持ちで会場を後にした。

古書の森逍遙?明治・大正・昭和の愛しき雑書たち

古書の森逍遙?明治・大正・昭和の愛しき雑書たち



 11月18日に小石川の真珠院で行われたお通夜に参列した。開始20分前に着いたこぢんまりとした寺院はすでに多くの人たちが焼香の時を待っていた。親族でも関係者でもないただの愛読者でしかない者が長居をする場所ではないので、焼香を終えるとすぐに駅への道を急いだ。寺社が多く、細く曲がりくねった夜の道を歩いているとライトに照らし出された大木と小さな寺院が見えた。周囲のマンションが闇に沈んでいるためか、一瞬明治の小石川を歩いているのではないかという錯覚に陥りそうになる。明治を愛した黒岩さんを送る夜に相応しいような雰囲気だった。


 「パンとペン」を読みながら、黒岩さんの記憶が何度も頭に浮かんでは消えた。


 2007年の暮れに「編集者 国木田独歩の時代」を読んだ。昨年の暮れから今年の正月にかけては「明治のお嬢さま」、「『食道楽』の人 村井弦斎」、「音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治 」の3冊を読んだ。この暮れは「パンとペン」を読み終えた。年の瀬に黒岩さんの本を読むのがなんだか恒例行事のようになってしまっている。黒岩さんの本でまだ読んでいないのは「古書の森逍遥」だけとなってしまった。これを読んでしまうと来年の暮れに読む黒岩本がなくなってしまうなあと思う。そう思うとなんだか読みたいのに読み始めることができない。

編集者国木田独歩の時代 (角川選書)

編集者国木田独歩の時代 (角川選書)

明治のお嬢さま (角川選書)

明治のお嬢さま (角川選書)

『食道楽』の人 村井弦斎

『食道楽』の人 村井弦斎


 来年の話をすると鬼が笑うというが、鬼のいない天国に行っている黒岩さんに迷惑がかかることもないだろう。黒岩さんの原稿で本になっていないものがけっこうあると聞く。読売新聞読書欄に載った書評や『東京人』などの雑誌に単発で書いた文章、それから地方新聞に連載するために書きためておいた文章など。どこかで本にしてくれないだろうか。多くの黒岩比佐子ファンのために。そして、来年の年の瀬に僕が寂しい思いをしなくていいように。