単線の駅。


 久しぶりの日記なので、一昨日の話から。


 仕事を終えてから職場を後にし、新宿へ。明日朝から宇都宮で仕事があるため今日のうちに移動をしなければならないのだ。


 ネットで路線検索をした結果は新宿から東武スペーシアに乗れという指示。東武線はいつから新宿を通る事になったのだと疑問を抱きながらみどりの窓口に行ってみると新宿発の電車があり、どうやらJR線に乗り入れて栗橋まで行きそこから東武線に接続するものらしい。5時半すぎのきぬがわ7号のチケットを買い、発車までの30分ほどの余裕を紀伊国屋でつぶすことにする。


 地元の本屋ではいまだに姿形もないポプラ社“百年文庫”を探してみる。てっきり文庫なのだと思っていたら新書サイズの本だった。さっき新宿に来るまでの電車で読んでいた松原一枝「文士の私生活」(新潮新書)に広津柳浪「今戸心中」を著者の知人が褒める言葉が載っていたのが気になり、目移りしてどれを買ってみるか決めかねていた中からこれに決める。

(019)里 (百年文庫)

(019)里 (百年文庫)

 中身は、小山清「朴歯の下駄」・藤原審爾「罪な女」・広津柳浪「今戸心中」の3作。


 本を手に新宿駅へ戻る途中、ベルクを横目に確認。ここでコーヒーブレイクと行きたいところだが、もう発車時刻までの余裕がなく断念する。


 スペーシアは新宿を出て、しばらくモゾモゾと走り、池袋に止まる。池袋を出ると少し調子を上げて特急列車らしく振る舞い始めた。まだ6時過ぎだというのにすでに車窓は真夜中のような暗さだ。埼玉県に入り、どこかの駅を通過する時に窓の外を見ると、灯りも途切れそうなホームの端に独り中年のサラリーマンがぼんやり立って電車を待っている姿が何とも淋しく目に映る。職場に気なる仕事を残してきたせいか、どうも心は浮き立たない。


 列車は栗橋駅にさしかかり、ここでJRの線路から東武線の線路へ乗り換えることになる。その時に架線も変わるらしく、一瞬車内が暗くなり、停電する。それもまたどこか物悲しい雰囲気を感じさせる。


 「文士の私生活」数章と東横落語会の高座を記録した古今亭志ん朝の噺を2つほど聴いたところで栃木駅に着く。ここから東武宇都宮線に乗り換える。四両の列車が単線をのんびり走り、途中の駅で通過列車をやり過ごし、4駅を20分ほどかけて移動する。本日の宿がある駅に降り立つ。トイレに寄ってから改札へ行くと、先ほど一緒に下りた数名の乗客の姿はすでになく、駅員の姿さえない。僕の姿にやっと気づいた駅員に乗車券を渡し、外に出てみるとそこには店らしきものの一軒もなく、立派な住宅がずらっと並んでいる住宅地なのだが、あまり窓から灯りが洩れる家もなく、道を歩く人の姿も見えない。こんなところに宿泊施設などがあるのかと不審に思えてくる。地図を頼りに進んで行くと確かにその宿はあった。しかし、正面の自動ドアは故障しており、張り紙の指示通り、膝より下の位置にあるドアとは別の場所にあるボタンらしきものを押さないと開かない。中に入るとフロントのカウンターには誰も居らず、半鐘のような鐘が置いてあるのでそれを叩いて呼ぶのかと思ったらそこにも張り紙があり、×××ー△△△△ー▼▼▼▼に電話してくれればすぐに来ると携帯番号が書いてあった。どうしようかと途方に暮れていると背後から年配の女性が現れ、それがこの宿のオーナーであった。ここで合流するはずの車で先発した同僚たちはまだ到着しておらず宿の夕食をキャンセルして他で食べているらしい。ものわかりと耳のよくないオーナーにその状況を説明してもなかなか納得してもらえない。何とか理解してもらってから独りで夕食を済ませ、部屋に入る。


 周囲にコンビニもなく、ロビーにソフトドリンクの自動販売機すらないここでは本を読む以外にすることなどなく、「文士の私生活」の続きを読む。著者の人生で出会った様々な文学者たちの思い出を書き綴った本なのだが、編年体の姿をした紀伝体なので、時代がよく前後し、今読んでいるのは戦前の話なのか戦後の話なのかがよく分からなくなったりする。その未整理な感じが90歳を超えた筆者の思い出話を本当に身近で聴いているような気持ちにしてくれる。

文士の私生活―昭和文壇交友録 (新潮新書)

文士の私生活―昭和文壇交友録 (新潮新書)

 窓の外を時折、単線の電車がホワンホワンと通り過ぎて行く。台風が近づいているというのに明日は朝から野外仕事があるなんてと溜め息をついているうちに夜が更けて行く。