馴染みのある滋味。

 ここ数日はお約束のように朝からバタバタ。


 昼に仕出しの弁当のふたを開け、付いてきたみそ汁のラップを外したところで来客、部署のスタッフからの相談、情報の確認と打ち合わせなどが立て続けに襲いかかり、気づけば夕方。


 机の上に置きっぱなしのみそ汁椀に埃が入らないようにとティッシュをかぶせてくれていた同僚の心遣いが泣けてくる。


 どう見ても夕食としか思われない時間に昼食を食べ終わる。食べ始めてから食べ終わるまで6時間もかかったことになるな。まるで貴族の食事だよ。


 夜9時まで働いて退勤。


 本屋に寄って雑誌コーナーを見ていたらこれを見つけた。

 この手のムックは数社が同傾向のものを出しているが、写真やレイアウトなどエルマガジン社のものが頭一つ抜き出ていると思う。今回は武藤良子画伯のイラストをふんだんに配した木村衣有子さんのエッセイ「地味な滋味 かんぴょうを知っていますか?」が載っているのも手が出た一因。


 帰りのバスはポッドキャスト「お台場寄席」でダウンロードした柳家喜多八明烏」を聴く。


 帰宅し、ポストをチェックすると『ちくま』10月号が入っていた。今号には荻原魚雷さんの「魚雷の眼19 編集者時代の古山高麗雄」が載っている。楽しみにしている田村七痴庵「古本屋と編集長3」は『彷書月刊』休刊の話。


 木村衣有子さんの「地味な滋味」を読むと木村さんが外市での出店名などに使っている“木村半次郎商店”が木村さんのおじいさんがやっていた干瓢問屋の名前だとわかる。単純な反応だが、文章を読んでいてかんぴょう巻が食べたくなった。干瓢のもとになる夕顔の実を描いた武藤さんのイラストを見ていると、その実を切って鶏肉と一緒に煮た料理を思い出し、口の中に何やら汁気が湧いてくる感じになる。それがこの世で一番好きな食べ物である人間にとって読むに楽しい、見るに美味しいページであった。