日記で読む1984。

 久しぶりに完全フリーの休日。目ざましなしの目覚めの素晴らしいこと。


 寝床の上でゴロゴロ。小三治「舟徳」のDVDを観る。志ん朝バージョンとこうもり傘を持っている人物が入れ替わっていることに気づいた。


 洗濯をしてから午後に家を出る。軽い運動を兼ねてひと丘越えてブックオフまで歩いて行くことにする。アディダスのキャップにトレーニングパンツ、ドライ素材の黒いTシャツに同じ色のΝバランスのアップシューズをはき、風と日差し対策のサングラスをして家を出る。肩からは袈裟掛けに無印のナイロンバッグを下げる。もちろん、たくさん本を買ってもいいように大きめのものを選ぶ。
 外へ出ると思いのほか日差しが強くなく、暑さもあまり感じない。それでも暑さ対策にちょっとした怪談噺である「お若伊之助」(志ん朝)を聴きながら歩く。


 ブックオフへ着いてみると、単行本500円均一、雑誌半額のセールをやっていた。まずは105円棚から。


 今はなき福武文庫がいくつか出ていた。今考えるといい文庫だったな。先日に続いて今日も吉田健一本が手に入る。なにか流れが来ている感じ。


 せっかくのセールなので単行本も1冊。


 雑誌『すばる』で連載されていた連続座談会の単行本最終巻。出るたびに村山書店などで手に入れていたのだが、この六巻だけ買いそびれたままだったのでやっと全巻揃った。


 この他、特集に興味のある『文學界』と『新潮』を1冊ずつ購入。


 しっかり汗をかいて帰宅。


 この夏の仕事の準備として机周りの整理をしているとその昔友人たちに配っていた自分の文章などを載せたミニコミが出てきたのであれこれ眺めているとある号に自分が書いた20歳の夏の日記を掲載しているのを見つける。日記には《1984・夏》と注記してある。そうかあの年が1984年だったのかと今さらながらに思い当った。


 当時大学3年だったあの年を日記の前に付けたプロローグでこう説明している。

 1984年(昭和59年)というのはどんな年だったのだろうか。年明け早々、三井三池有明鉱で火災があり、3月にはグリコ森永事件が発生し、7月にはロサンゼルス・オリンピックが開催された。内閣総理大臣中曾根康弘であり、新しいお札が発行され、専売公社や電電公社が民営化法を成立させている。映画では宮崎駿風の谷のナウシカ」や伊丹十三「お葬式」がヒット。小説では筒井康隆『虚構船団』、安部公房『方舟さくら丸』などが出版され、評論では吉本隆明『マス・イメージ論』、丸谷才一忠臣蔵とは何か』が注目を集めた。そして、アンドロポフ書記長(ソ連)、ガンジー首相(インド)、ミッシェル・フーコー(哲学者)、トールマン・カポーティ(作家)、吉田精一有吉佐和子、滝井孝作などが死んでいる。そんな年である。


 この年の7月15日の僕はさっき出てきた「虚構船団」を読了し、本屋で山口昌男文化人類学への招待」、栗本慎一郎「幻想としての経済」、武田泰淳ひかりごけ・海肌の匂い」、大岡昇平「俘虜記」を買っている。翌日から磯田光一「戦後史の空間」を読み始め、17日に一度中断して野坂昭如エロ事師たち」を読み終わり、また「戦後史の空間」に戻っている。その後も、筒井康隆「腹立ち半分日記」や大岡昇平「野火」などに浮気しながら21日に読み終わり、22日からは前田愛「都市空間のなかの文学」に手を伸ばす。24日にはサザンのニューアルバム「人気者で行こう」を貸しレコード屋で借りてダビングするか、それとも買うかに悩みつつ、テレビでオールスター戦による江川の8者連続三振を目撃。29日には大学の読書会用に三島由紀夫「青の時代」を読み、8月4日にはついに意を決して「人気者で行こう」を買い、代わりに借りてきた「ヘレン・メリルウイズクリフォード・ブラウン」をテープにダビングしている。5日に荷風「つゆのあとさき」を読み、9日には近代文学館夏の文学教室での前田愛の講演を聴きに行き、予告されていた「つゆのあとさき」論がカットされたことに立腹し、12日には井上ひさし作「頭痛肩こり樋口一葉」をテレビで観て一葉の母役の渡辺美佐子に感嘆している。14日には神保町に行き、日本特価書籍埴谷雄高「死霊1」、「小林秀雄全集第2巻」、ロラン・バルト「S/Z」を購入している。


 この時の自分と青豆や天吾が二つの月を見上げていたあの年が同じ年であるということは日記を読み返してもどうもピンとこない。まあ、あちらは1984年ではなく、1Q84年だから当然と言えば当然なのだが。