違いのわかる野人。


 昼前に家を出て池袋に向かう。


 池袋駅の雑踏を抜けて風は強いが陽射しが心地よい中を歩いて往来座へ。

 瀬戸さんに挨拶をして持って来た月の湯用の本を渡す。本とともにu-senさんへ渡してもらうものを託す(u-senさん、これをお読みでしたらお時間のある時に往来座へ寄って下さい)。


 Pippoさんの近代詩朗読集「てふてふ一匹め」というCDを買う。そこへ武藤良子さんが来店。これから要町のマルプギャラリーで行われている個展に行くと言うと「耳朶とスプーン」のポストカードをくれる。さっき買った「てふてふ一匹め」のジャケット裏のPippoさんの横顔がどこか武藤さんの横顔に似ている気がしたので、この写真を武藤さんの横顔に代えた特別盤をつくったら面白いという話になる。

「作るなら武藤さんの朗読もボーナストラックとして入れよう。円谷幸吉の遺書なんかどうだろう?」
「あの、××おいしゅうございました、ってやつか」
「そう、食べ物を並べるところが武藤さんらしいじゃない」
「遺書って、おいらが死んだ方がいいってことかよ」
「そうじゃなくて、死にそうにない武藤さんが遺書を読むっていうアンバランスが面白いと思うんだけどな」
「やだよ」

 ということでこの話は流れる。

 武藤さんと別れ、池袋駅から有楽町線で要町へ。携帯で武藤さんのブログ(id:mr1016)をチェックし、4月1日の「要町ちょっとご報告」で詳細に説明してくれている道順を確認。まずは腹ごしらえに武藤さんご推薦の「かえる食堂」に行こうと5番出口から要通りを池袋方面に。祥雲寺の桜が七分咲きくらい。それを見ながら光文社の横の路地を入っていくと向こうから退屈男さんがくる。聞くとかえる食堂は満席で入れないとのこと。それじゃ個展を見てからまた来ることにして、すでに見て来たという退屈男さんと別れて5番出口すぐの弁当屋横の緑道を歩いていく。しばらく行くとパンダの置物があり、そこを過ぎて50メートルほど行った左手に新しい建て売り住宅が3棟あり、その真ん中がマルプギャラリーだ。

 ドアを開けて、玄関に入る。横の部屋ではこちらの方がなにやら打ち合わせ中。1階にあるギャラリーは自由に出入りするようになっているので、そのまま進む。突き当たりのギャラリーに武藤さんの絵が展示されていた。PR誌『未来』の表紙で御馴染みのモノクロの銅版画のような絵が数点とカラーの絵が数点という構成。僕の好みは前者。武藤さんの内省的な部分がよく表現されていると思うから。『野生時代』に掲載された挿絵の豚の絵もあった。カラーではシドニーのオペラハウスとハーバーブリッジを描いたかのような青を大胆に使った絵が好きだな。なんだかマチスみたい(と言えるほどマチスの絵を見たことがあるわけではないのだが)。


 ギャラリーを出てかえる食堂へ戻る。カウンターだけの店内に客の姿はなし。これはちょうどいいと中に入り、武藤さんオススメの緑のカレーを頼む。大きな平皿にスープカレーかと思えるほどたっぷりのルー。ほうれん草を初めとする野菜がたくさんにチーズが入っている。あまり辛いのが得意ではない僕でも気持ちのいい辛さ。野菜のうまみとブレンドされたスパイスの複雑に絡み合った陰影のあるうまさ。これまで食べたカレーの中でも確実に上位に入る味だ。これはうまい。もっと辛いのが好きな人は「辛目」で注文もできる。この味が好きなのだから、武藤さんという人は日常の行動から受ける豪放磊落・傍若無人的なイメージとは違い、絵からうかがえるように繊細で複雑な内面を持った人なのだと思う。もちろん、日頃の言動もまた武藤さんの一面であることは否定できないので、“違いのわかる野人”とでも言えばいいのかな。
 デザートにはこれも武藤さん一押しのシフォンサンデーを頼み、カフェオレと一緒に堪能する。いやぁ、この店いいです。美味しいです。オススメです。


 駅まで戻り、要町のブックオフへ。「退屈男と本と街」でよく出てくるここに一度行ってみたいと思っていたのだ。退屈男さんの情報によると、半額棚に講談社文芸文庫がいろいろ出ているということなのでそれを楽しみに棚を見る。店内には珍しい若い女性の携帯セドリの姿が。紙に書かれたリストと携帯の検索の両刀を使ってセドっていた。
 105円棚からは買えず、半額棚から1冊。


 帰りは副都心線で渋谷へ出る。携帯本の「ダブリナーズ」を読みながら。柳瀬尚紀氏による新訳が売りの本だが、最近多い読みやすくなった新訳ではなく、むしろ読みにくくなった新訳だろう。それは悪い意味ではなくて、ジョイスの原文の表面だけではなく、その裏に隠された意味や遊びまで丁寧に拾って訳されているため、日本語がただスラスラとは流れていかず、用語もあまり見たことのないようなものが選択されているための読みにくさなのだ。この個性の強い訳文は好みが別れるところだろうな。僕が好きですけどね。


 帰宅すると『ちくま』4月号が届いていた。林哲夫さんによる表紙(京都らしい古本屋の店頭風景)と文章(「ふるほんのほこり」)を読み、続けて荻原魚雷「魚雷の眼10 辻征夫式詩人生活」を読んだ。魚雷さんの詩人に対する強い興味と関心が伝わってくる。辻氏は思潮社勤務などを経て都営住宅サービス公社に入社し、定年まで勤め上げながら詩作を続けていた人。


 思潮社にいたと言えばPippoさんだ。「てふてふ一匹め」を聴く。彼女の優しくやわらかいけれどどこか一本筋の通った声が様々な詩を読んでいく。丸山薫「汽車に乗って」にアイルランドのような田舎に行こうというフレーズが出てきてさっきまでアイルランドのダブリンをブラブラしていた自分に思い至る。個人的には草野心平「秋の夜の会話」が内容と声の質が一番あっていたような気がする。

 その後、長嶋有「電化製品列伝」と「ねたあとに」を少し読む。「ねたあとに」が面白い。