遅番の日なので8時に起きて朝風呂。
BGMは柳家小さん「猫久」を聴く。いったい刀をもった猫久はどこへいったのだろう。
いつものようにおこわと煮物を買って職場へ。
風が冷たく野外仕事がつらくなってきた。
退勤後、本屋へ。
荒川洋治新刊も、講談社文芸文庫や中公文庫の新刊も姿はなし。小林秀雄CD付きの『新潮』もすでに売れてしまったらしい。
夕食をとろうと思った行きつけの店も満席で、すごすごとバスに乗って帰る。
帰宅してテレビをつけるとNHKの「プロフェッショナル」で、最近の放映から未公開映像を紹介するという企画をやっていてその対象に柳家小三治師匠が入っていたので観る。
まず、スタジオでのインタビューでカットされていた師匠の鞄の中身を紹介するシーンが映る。商売柄のどが痛くなるためのケアとして4種類の蜂蜜とそれをのどに塗るための小さい筆が入っていた。料理にかけるというオリーブオイルと2種類の塩(確かひとつはベトナム産だった)もあった。
その後、高座の映像で師匠の話芸をたっぷり聴かせるというので楽しみにしていると、「付き馬」のサゲの場面。まず、状況説明のナレーションが師匠の語りとかぶってくるのがうるさいが、これは筋を知らない視聴者への配慮として仕方ないと我慢する。しかし、その後の画面を見て愕然とする。師匠が葬儀屋のおじさんを演じているとその映像に「葬儀屋」というテロップが入り、付き馬をまこうとしている男の語りに移ると今度は「男」と入るのだ。“当代随一の名人”と謳っておいてそこにどの人物を演じているかのテロップを入れるという不躾な行為を行うとはどういう神経なのだろう。そんな説明がなくては、はじめて聴いた人が理解できないような芸をこの師匠がするとでも思っているのだろうか。それとも、こういう説明を入れなければ馬鹿な視聴者には理解できないとでも考えたか。どちらにしても不快な思いのする時間だった。師匠の噺が素晴らしいだけになおさら情けなさがつのった。
ブログ散歩をしていて水村美苗「日本語が亡びるとき」(筑摩書房)がいろいろと反響を呼んでいること知る。そういえば、今日本屋でも見かけなかったな。もう売れてしまったのかもしれない。興味のある内容なので、とりあえず全7章のうち最初の3章を掲載した『新潮』9月号を探し出す。
こちらを読んでから本を買うかどうか判断しようと思う。