お前はもう明けている。


 今朝もすでに蒸し暑い。テレビの天気予報は関東地方の梅雨明けは早くとも今週末と言っているが、それはただ今週半ばに雨が予想されるというだけで、どんよりした曇り空としとしとと降り続ける雨の梅雨はもう明けてしまっているのではないかとしか思えない。


 そんな自分の思いを裏付けるかのよう昼間真夏の太陽がギラギラと空にある。


 夕方まで働いて退勤。


 本屋へ。


 倉本四郎という僕には聞き慣れない名前の書評集が右文書院の新刊として出ていたのをチェックし、『國文學』の最新号を手に取って来月の特集に期待だなと思い、中西龍さんを描いた小説である三田完「当マイクロフォン」は鬼平ファンとしてそのうち読まなければいけないよなと己に確認したりしながら周遊し、そのまま店を後にする。


 帰り道のコンビニで『週刊現代』を買ってから帰宅。


 ポストにBULE NOTE CLUBから会誌とCDサンプラーが届いていた。サンプラーは最近新譜を出したベテラン・ベーシストのロン・カーター集。


 『週刊現代』から今回が最後の担当となるらしい東川端参丁目さんの「リレー読書日記」を読む。“ロスジェネ世代”というキーワードが一編を貫き、自分の属する世代に貼られた“ロスト・ジェネレーション”という言葉に対する反発と期待が書かれている。世代でものを考えるという思考がほとんど欠落している僕には“ロスジェネ世代”が抱える問題について何も言うべき言葉を持たないのだが、《これからの文学を生み出していく世代であるはず》という東川端さんの言葉に期待したいと思う。小学生の頃にオイルショックを経験し、豊富な物資を背景とした社会の繁栄の嘘くささを見せつけられ、大学時代のバブルにもどうしても乗り切れないものを感じていた僕が同年代かもう少し年上の作家・文筆家の人々に寄せる期待と近いものをそこに感じるから。