山からおりて古道具を買う。


 朝、職場でひとつ仕事を済ませてから、電車で隣り駅の大きな病院に行く。長年いつかは抜かなくてはいけないと歯医者に言われ続けた親知らずを抜きに来たのだ。


 この病院に来るのは上司のお見舞いに行って以来だから10年振りくらいか。ずいぶんと近代化され、きれいになっている。待合室も明るくカラフルに変わっていた。僕がかかる口腔外科は黄色で統一され、受付カウンターもソファも黄色。偶然今日はレモンイエローのボタンダウンシャツを着てきたのでなんだか気恥ずかしい。


 受付を済ませ、与えられた番号がモニターで呼び出されるのを待つ。用意してきた石田千「山のぼりおり」を読み出す。これは石田さんが日本全国の10の山に登っておりた記録エッセイ。とは言ってもノンフィクションなんて肩に力の入ったものではなく、北千住の居酒屋に行くのと同じ軽やかさとまったり感の石田千ワールド全開の文章が続く。石田さんの言葉遣いは独特のものがあり、金町という俳号で句を作っている人らしく、言葉を切り詰めた飛び石をケンケンするようなリズムも心地よい。

 10時に受付して、呼び出しがあったのが11時半。「山のぼりおり」も半分以上読んでしまう。


 まず、担当医からレントゲンを撮りに行ってからしばらく待てとの指示。レントゲンを撮って戻ってきてまた待つこと1時間。「山のぼりおり」ももうおり切りそうだ。


 今日手術をするのは4時以降となるため、4時にもう一度来てくれと言われる。家に帰ると戻ってくるのが面倒になりそうなので、近場で時間を潰すことにする。


 隣り駅でありながら、この駅で降りるのはたぶん2度目くらい。ほどんど知らない街だ。駅前まで戻って結構長い商店街を歩き始めると古本屋があった。とりあえず時間つぶしにはもってこいなので覗いてみる。100円棚から文庫を3冊選ぶ。


 すぐ近くに新刊書店があったので入ってみる。まだ何時間も待ち時間があるのに、持ってきた「山のぼりおり」はもう終わりそうとあれば、ここで補充をしておきたい。さっき買った文庫は手元に置いておきたい本ではあるが、今読みたい本ではないのだ。家には山のような積ん読本があるにもかかわらず、なぜ1冊しか持ってこなかったかと自分を責めるがしかたがない。
 とりあえず文庫の棚を何周かして時間を潰してから、1冊持ってレジへ。

古道具 中野商店 (新潮文庫)

古道具 中野商店 (新潮文庫)


 前から読もうと思っていたのだが、いつか出先で読む本がなくなった時に買うための控えの1冊として買わずにいたのだ。早々と切り札投入となったがいたしかたなし。


 その後、もう1軒古本屋を見つけ、150円の肌色文庫を1冊選んでから、モスバーガーで昼食。


 その後、線路際でもう1軒古本屋を見つけ、覗いてみるが何も買わずに出る。思ったより古本屋のある街であったことを知った。


 まだ、4時まで時間があるので、駅前の宮澤賢治ライクな名前の喫茶店に入り、ホットケーキセット。今晩は抜歯後のため、まともな食事はできないことを見越して腹にいろいろ詰め込んでおくつもり。


 なんだか薄味のブレンドでホットケーキを流し込みながら、「山のぼりおり」を読了し、「古道具中野商店」を読み始める。


 4時前に病院に戻るが、呼び出しがあったのは6時半。おかげで「古道具中野商店」も読み終わってしまった。1日2冊読了なんていつ以来だろう。本を読むなら親知らずを抜くに限りますな。


 中央線沿線と思われる場所にある古道具屋を舞台にバイトのわたしとタケオ、店主の中野さんと愛人のサキ子さん、中野さんの姉のマサヨさんと恋人の丸山さんという男女の恋愛を中心として、古道具屋でのもろもろがのんびりたんたんと語られる。「山のぼりおり」といい「古道具中野商店」といい、歯を抜かれる時を待っているというちょっと緊張を強いられる時間に読むのにうってつけの本だな。後者の方にあるうすぼんやりしたインビさが生と死をいやでも意識する病院という場所に不思議にマッチしている感じもするし。


 やっと診察室に入り、麻酔を打たれ、歯を抜かれる。レントゲンを見て担当の女医さんが「神経と癒着しているので、時間もかかるし、出血も多いと思いますから覚悟しておいてくださいね」と脅すようなことを言っていたのだが、いざ始まってみると30分ほどで全部終わる。「大変かと思っていたら、今日の中では一番素直な歯でした」と変なほめられ方をする。


 薬を貰って病院を後にし、地元の本屋へ。

  • 藤牧徹也(写真)「本棚三昧」(青山出版社)

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 昨日から気になっていた本を抜歯に耐えて2冊読了した自分へのご褒美として買う。何はともあれ、人の本棚の写真を見るのが大好きなので。


 帰宅して、頬に冷えピタシートを貼り、ウイダーインゼリーからなる夕食をとる。


 痛み止めを飲んでぼんやりした頭で「本棚三昧」を眺める。この手の本棚企画の定番者(例えば穂村弘さん)が少なく、知らない人が多い。高田純次棚を興味深く見るとミステリーやエンターテイメント系が多い中、「安部公房全作品」が並んでいるのが目につく。やはり舞台出身の人だけあるな。


 顔に冷えピタを貼り、口の中に止血用のガーゼを入れている状態で起きているのもなんなので、今日は遅くならないうちに寝ることにしよう。