泣きながら帰る。


 すこし寝不足気味で職場へ。昨晩、持ち帰りでやっていた仕事を職場でも引き続きやる。ずうっとパソコンとにらめっこしながら何とか夜の声を聞くころには一区切り。


 昨年9月から今までの立替分の経費が12万ほど返ってくる。まるで積み立て貯金をしているような気分。自分の払った金額が利子もつかずに返金されただけなのだが、それでもうれしいからおかしなもんだ。


 退勤して外へ出ると冷たい強風が吹いていた。砂埃がコンタクトをしている目を襲う。痛みで涙がダーッと流れ、花粉用マスクの中に流れ込む。つられて鼻水までドッと繰り出してきた。いい歳した男が涙を流しながら歩いているなんて様にならないのだが、痛いのだからしょうがない。


 なんとかコンタクトを外さずに埃は目の外へ。僕は本屋へ。
 外市の売り上げ&立替貯金というバブリーな自分を本棚の前に立たせる。店員を呼んで「このみすず書房の棚の本を全部、こちらの自宅宛に送ってください」と言えるほどの度胸もないため、欲しい新刊を2冊買って結構豪遊気分。このスケールの小ささよ。

だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ

だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ

小津ごのみ

小津ごのみ




 都築本の帯に“そんなに買って、読めるのか!”という文句が踊っている。へん、余計なお世話だと思いつつ、そんな言葉にこちらも踊らされてレジへと進んでしまう。「好きだ」と「好かれる」が同じにならないように「読みたい」と「読める」も相思相愛にならないことが多いのだ。本好きはいつも本への片思いに胸を焦がしていると思ってもらいたい。誰も同情してくれないだろうけどね。


 帰宅して、武藤康史「文学鶴亀」を読む。相変わらず読むのが遅いのだが、やっと『週刊文春』連載の「批評の細道」を読み終わる。後半、若くして亡くなった女流歌人の安藤美保さんへの言及が多くなる。この才能あふれる存在にある意味片思いしていることが伝わってくる(通常の恋愛感情とは別の意味である)。こういう著者の思い入れがはっきり表れるところもこの本の魅力のひとつだと思う。