アクセスする本と人。

 9時起床。クリーニング屋にワイシャツを出してから神保町へ。


 日本特価書籍に寄ってこれを。

 mixiでbukuさんと今朝松さんが面白いと言っていたので朝晩bukubooksメンバーとしてチェックしておこうと購入。

村上春樹にご用心

村上春樹にご用心


 昼食をとろうと思うが、日曜の神保町は古本屋だけでなく飲食店もほとんど休みなのだ。丸香もスマトラカレーの共栄堂もやっていない。丸香の先のとんかつのいもやに行ってみると閉店の貼り紙が。


 駿河台の坂を上がり、エチオピアで野菜カレーを食べる。辛いのが苦手なので、0倍(普通)を注文。
 隣りに座った人が「辛さは?」と聞かれて「普通で」と答えた後、「0倍ですね」と念を押され、どうやら0という数字に抵抗があったらしく、「いやもう少し辛いヤツ…、2倍で」と言い直したのがちょっとおかしかった。


 食後、古書会館へ。いつも展示即売会をやっている地下ホールに行くと椅子がびっしりと並んでいる。後ろの隅っこに陣取る。受付で貰ったプリントに目を通す。1枚は『彷書月刊』2003年1月号、もう1枚は日経新聞2007年9月3日に載ったともに書肆アクセス店長・畠中理恵子さんが書いた文章だ。


 前者で畠中さんが語る高橋書店のご主人との交流がいい。店長になりたてで右も左も分からない状態の畠中さんにあれこれと小言を言いながらも、いろいろと教えてくれたというご主人は、きっと畠中さんのことが好きだったのだろうと思う。書肆アクセスの魅力は、そこにしかない本があるからという場としてだけのものではなく、そこに畠中さんという人がいるからという人間的な力が大きかったのだと感じる。僕自身、半分は畠中さんやそこにつながる人たちがいるからという理由でアクセスに足を向けていたと言っていいのだから。


 そんなことを漠然と感じているうちにイベント「本屋さんの現在とこれから 書肆アクセスの閉店が意味するもの」が始まる。司会を石神井書林さんが務め、壇上には畠中さん、永江朗さん、田村治芳さんが上がる。
 まず最初にお三方がそれぞれ10分程度の話をしてからフリートークとなる。
 畠中さんは1988年からアスセスに勤め始めたのだが、97年頃から本が売れなくなり出し、年2%ずつ売り上げが落ち続けたという。その打開策として同僚の黒沢説子さんの発案によりミニコミを置くようになり、そこから『sumus』に代表されるようないろいろな人たちとの繋がりができ、それを活用したフェアなども行ってきたのだが、書店への卸しの方が落ち込む一方となり、結局閉店せざるをえなくなったとのこと。
 永江さんは、年間1000軒ほどの書店が潰れており、毎日2、3軒の店がなくなっているのだから、アクセス閉店もその中の一つに過ぎないと厳しい現状を指摘しつつも、その中でアクセスに関してはこのようにさまざまなメディアが取り上げ、イベントまで企画されるということはそれだけアクセスという店に何かがあったということだという意味のことを述べていた。そして、アクセスを閉店に追い込んだのは店長の経営手腕などの問題ではなく、不況による出版点数の増大によって刷部数が少なくなり、中小の書店に本が行き渡らず、多くの店がやっていけなくなるという構造的問題にあり、これが解決しなければアクセスは生き残っては行けないのだと指摘する。
 また、このような現状の中でも、ヴィレッジバンガードのように立地条件も決してよくない状況の中で、本と雑貨をともに扱うというネットにはない独特の雰囲気をもった空間を作り上げることによって200店舗という大きな成功を得ていることを挙げながら、本と何かを絡み合わせながら地域と密着していくことで本屋のこれからの展望が見えてくるのではないかという方向性を語っていた。


 田村さんは、巨大化していく大型書店が出版社や取り次ぎの倉庫化してきていることを指摘し、新聞の書評や一般の書店が取り扱っているのが大手の出版物ばかりなのに対してその他の中小の出版物を扱うアクセスの特異性と素晴らしさを語った。
 そして、古本屋は昭和までの古本を扱うというやり方であと10年はやっていけるが、今の出版社や書店に元気がないとその後に扱う商品がなくなり、古本屋もやっていけなくなるのではないかという危惧を述べ、だからこそ、出版社や新刊書店に頑張ってもらいたいのだという思いを語っていた。


 最後にちょっとした質疑応答があった。それを聞きながら、こういうイベントにおける質問のほとんどが、質問のカタチをとりながらも結果的に自身の意見をただ発表しているだけで、そこから会話が広がっていくようなものにならないことが多いと感じた。あるブログでも書かれていたが、質疑応答のコーナーはいらないと思う。


 2時間のイベントを聞いた後に思うのは、2時間前にプリントを読んで感じたことと同じだ。それは書店(本屋)には空間(場)と人が必要だということ。僕もネットで本も買うし、ブログもやっているが、そんなネット世界だけでは満足できない。多少非効率的であろうと本がそこにあり、その本を仲介し、それに関わる話を交わすことのできる人(店主・店員)のいる空間(場)としての書店(本屋)が好きであり、必要なのだ。たとえ、アクセスがなくなってもアクセスのような本屋の登場を期待していたい。


 散会後、会場にいた西秋書店さん、旅猫さんとちょっと話す。その他、南陀楼さん、リコシェの阿部さん、石田千さんの姿があった。


 帰りの車内で、四方田犬彦「人間を守る読書」を読了。第4章にある目的を持たないアニマとしての読書の勧めとあとがきにある牢獄や難民キャンプを例に出しての書物の必要性に共感する。


 「人間を守る読書」を鞄にしまい、代わりにさっき買った内田樹村上春樹にご用心」を読み始める。ブログに書いた村上春樹関連の文章をまとめたものなので、繰り返しが多かったり、短めのものばかりだったりするが、なかなか面白い。


 クリーニング屋に寄ってワイシャツを受け取ってから帰宅。
 コンビニで買った『週刊現代』から坪内祐三さんの著者インタビュー(「四百字十一枚」)をまず読む。現在の書評本ブームについて壊滅してしまった町の本屋の棚の代わりを書評本が果たしているのではないかという指摘にうなずく。続いて東川端参丁目さんの「リレー読書日記」。こちらでも本の水先案内人としての本屋の棚(挙げられているのは芳林堂書店高田馬場店)が語られている。今日のイベントにリンクする話題ばかりだ。東川端さんの紹介する石井光太「神の捨てた裸体 イスラームの夜を歩く」(新潮社)を読みたくなった。


 その後、「超人 高山宏のつくりかた」を数章読み、飽きたところで「村上春樹にご用心」に乗り換える。100ページほど読んだ。