花粉も「たちきり」たい。


 本日も花粉はなはだし。声の方もまたあやしくなってきた。


 職場で先日急ぎの用を頼んだ同僚にお礼を言うと「ホテルランチでいいよ」と言って立ち去る。えっ、それはちと高くつくなあ。どこかのランチボックスじゃダメですか。


 夕方、咳き込むのでトイレに入り、ふと鏡を見ると、顔だけではなく首の回りまで赤くなっている。外からの出入りの多い職場だけに長居は無用と退勤する。


 本屋をサッと流してからバスに乗る。車中で2月28日分の「堀井憲一郎ずんずん落語」を聴く。前回に続いて立川談春師匠がゲスト。今回も38分を超える拡大判だ。最初は堀井さんが関西から東京の早稲田大学に入学して落研に入った経緯が語られるが、談春七夜での「たちきり」の話から本格的な談春ワールドが始まる。なぜあのような「たちきり」になったのかを語り、そのうち個人を離れて現在の落語の状況および技術にまで展開した後、「誰に言ってるんだこれ、あっ、俺か」と自分に帰ってくる。
 印象に残っているのは、談志落語はしっかりカット割りされた映画であり、志ん朝落語は一幕の芝居として演出されているというところ。なるほどね。


 相変わらず気持ちが安定していない状態が続いているため、落ち着いて本を読む気がおきない。コンビニで買ってきた『週刊文春』を眺める。小林信彦「本音を申せば」は森繁久彌のアドリブの話。坪内祐三文庫本を狙え!」はサマセット・モームサミング・アップ」(岩波文庫)を取り上げる。「すっぴん魂」の横にあった『東京人』4月号の広告に目がいく。特集“東京は坂の町”。川本三郎「文学に描かれた坂」、堀江敏幸「バスで優雅に坂道散歩」といった題目が並ぶ。おっと特集とは別に宇田川悟「VANの時代」ともある。やっぱり買いですね。


 今夜は桂吉朝「たちきり」でも聴きながら寝ようか。いつかははかなく消えてゆく線香のように花粉も「たちきり」になってくれるとうれしいのだが。