いくたびの加東大介。


 遅番なのでゆっくり起きる。

 
 風呂で古今亭志ん朝井戸の茶碗」を聴く。出てくる浪人、くず屋、細川の家来の三人ともすべて善人。まさに善人たちの宴である。


 いつものように駅ビルでオコワに総菜に紅茶を買って職場へ。花粉症を考えて紅茶は甜茶入りのものを選ぶ。


 先日同僚が仕事中に十二指腸潰瘍で倒れ、緊急手術の上入院しているので、部署を代表して上司とともにお見舞いにいく。偶然に自分の家の近くの病院であった。受付近くの待合室には本棚に沢山の文庫本が並んでいたが、題名を見る余裕がなかった。今日から水分が取れるようになったという同僚の体調を思い、お見舞いを渡して早々に引き上げる。

 同僚の車で家の近くまで送ってもらい帰宅。おかげでいつもより随分早く仕事から解放されたので、映画を観ることにする。


 「放浪記」(成瀬已喜男監督1962)を選ぶ。林芙美子原作を菊田一夫脚本で舞台化した「放浪記」の映画版。高峰秀子演じる林芙美子の表情や姿がいい。「キレイにとらないで」とカメラマンに頼んだと言うデコちゃんの気持ちの入った役づくりが伝わってくる。ただ、全体としては単調な印象。どうしても作家としての出世物語という単線構造になってしまうのはしかたがないか。仲谷昇の女ったらしの詩人や宝田明の肺病病みの作家は適役。伊藤雄之助の裕福な作家の飄々とした姿が記憶に残る。また、林芙美子に相手にされないにもかかわらず一生懸命世話を焼いたりしようとする加東大介演じる印刷工の姿にはなんだか身につまされる。なんどこんなシュチュエーションを経験したことか。

放浪記 [DVD]

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 夕食後、読書の時間。
 読みかけだった小林信彦「名人 志ん生、そして志ん朝」を読了。最後に置かれた「小説世界のロビンソン」から抜粋された夏目漱石吾輩は猫である」論は、何度読んでも素晴らしい。小林氏の映画評論の傑作が成瀬已喜男「流れる」論であるとすれば、文芸評論ではこの「吾輩は猫である」論にとどめを刺すというのが僕の持論だ。
 それにしても『Switch』の古今亭志ん朝特集号を手に入れなくてはと思う。


 次に内澤旬子「世界屠畜紀行」を手に取り、第6章モンゴル、第7章韓国の犬肉を読み終え、第8章を少し読んだ。韓国には2度ほど行ったが、犬肉は食べていない。職員旅行で行った2度目の時に興味のある同僚が、東大門市場近くにある食用犬の売り場を見に行き、カゴの中の犬の目はどれもうつろだったと言っていたことを思い出した。
同じ時に僕は東大門市場近くの路上でガムテープを高く積み上げて売っている人を見て「ガムテープだけの商売でどれだけ売れるのか」と不思議に思ったり、“ワールド・ジッパー・センター”というジッパーだけを集めた店を面白がって眺めていたっけ。


 山本善行さんのブログが「古本ソムリエの日記」(id:zenkoh)であることが分かる。すでに3日分がアップされている。これからが楽しみだ。