粗忽現実。


 寝床でグズグズしているうちに昼近くになる。

 起き出して風呂で古今亭志ん生「三軒長屋」を聴く。

 Macを立ち上げてブログ散歩。ぼんやりとモニターを眺めているうちに3時を過ぎる。着替えて花粉症対策のマスクをして外出。ブックオフへ。

 105円棚から。

 ダブリ本も多いのだが、今年ある古本屋さんのイベントに参加するかもしれないのでそれに合わせていろいろストックしておくつもりで購入。


 帰宅後、友人に送る本を選び始める。これまで3回に渡って小さい段ボールに1箱ずつ送っているのだが、その第4弾というわけ。友人の希望は“紀行本か明治大正の文豪小説”とのこと。どこまで希望に添えるか探してみることに。ごそごそとあちこちひっくり返して15冊ほどピックアップ。紀行本が多い。それもインドものとロンドンものに偏ってしまう。文豪の小説の方はちょうど良い文庫があまり見つからず。後日また探索してみよう。


 数日ぶりに山田稔特別な一日」を読む。今日は表題作の「特別な一日」。エットーレ・スコラ監督の「特別な一日」を、その作品世界に通じる自作の「ローマ日記」及びジョルジョ・バッサーニ「フェルラーラ物語」を補助線として概観し、その後映画に流れるファシストの歌を家で酔って歌う山田さんの姿が描かれる。そこに奥さんの歌う笠置シヅ子「買物ブギ」がかぶっていくラストが不思議な読後感をもたらす。


 その後、内澤旬子「世界屠畜紀行」の4章“イスラム世界”と5章“チェコ”を読む。


 不安定な気持ちを1日かけて落ち着かせていく。いくら悩んだところで目の前の現実が変わるわけではないので、己の心と体をその現実に少しずつ慣らしていくしか方法はないのだ。これまでもそうしてやってきたのだから。
 いつもいつも現実に負けつづける自分のことを考えているうちになんだかよくわからなくなり、勝つ方が“現実”であるなら、この負けている方の“自分”は“現実”ではなくてなんなのだろうと変なことを思ってしまう。これじゃ「粗忽長屋」だよ。*1

*1:もちろん、自分を現実から切り離して対立項として考える前提が間違っているのだが、それを言ったら落語にはならない。ん、落語?