中心と終焉。


起きて、風呂に入る。古今亭志ん朝「羽織の遊び」を聴きながら。若い衆がたむろしているところに伊勢屋のキザ(若旦那)が通りかかるところは「酢豆腐」と同工異曲。


昼過ぎに家を出て職場へ向かう。
今日は仕事が休みなのだが、滞っているもろもろを少しでもなんとかするためにサービス休日出勤だ。


人気のない職場で1時間ほど作業をしてから、コンビニで買ってきた昼食(チーズドリアと野菜のうま煮)を食べる。置いてあった今日の毎日新聞を手に取ると、村上春樹氏が先日出版した訳書「グレート・ギャツビー」についてのインタビューに答えている。インタビュアーの質問の中にレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」を訳されているそうですがというものがあり、ちょっとビックリ。そうなんだ、あの清水俊二訳の向こうをはった村上訳であの作品も読めるのか。「羊をめぐる冒険」のような「長いお別れ」が頭に浮かぶ。村上氏によるとすでに翻訳は終えており、最終のゲラチェックをしているところだそうだ。来年には読めるのではないだろうか。楽しみ。
それから、どこかで読んだがフィッツジラルド「夜はやさし」の村上訳も進行中らしい。


5時間ほど仕事をし、僕以外誰もいなくなった職場の電気を消して、警備員に挨拶をして帰る。


今日の仕事でノートパソコン用の外付けテンキーの必要性を痛感し、家電量販店に寄る。いろいろキーの押し具合等を試した上で2480円という値札の貼ってある品物をレジへ持って行くと、「すみません、値札の間違いで1200円です」と言われる。それが本当の価格であるにもかかわらず半額で買えたようなうれしさを感じてしまう。


本屋へ。


夕食を食べに入ったうどん屋で『トーキョー喫茶時間』を眺める。横浜山手の外人墓地近くにある「えの木てい」のページでふと手が止まる。学生時代に好きな女の子を誘ってこの店でお茶をした後、お互いの写真を店の前で撮り合ったことを思い出す。僕が撮った写真は彼女を中心に据え店は背景になっているのに対し、彼女の撮ったものは店が中心であり、真ん中より右に外れた僕はその前に立っている点景に過ぎなかった。できあがった写真を見て、自分の片思いのありようがこのような明確なカタチとなってあらわれていることに落ち込んだりしたなぁ、なんてことまで思い出してしまった。この後、彼女のと関係は終焉への道を進んでいったことは言うまでもない。
それはともかく、なんで喫茶店の写真を眺めているだけでこんなに安らいだ気持ちになれるのだろう。


帰宅後、持ち帰りの仕事を少ししてから読書。
高島俊男お言葉ですが…第11巻」を70ページほど。昨日読んだ「小津安二郎文壇交友録」に出てきた「断腸亭日乗」を高島さんも取り上げ、同じ箇所(荷風が谷崎邸を辞して岡山に帰る途中で終戦を迎えるところ)を引用している。こういう偶然が読書をスラスラと進めさせるムチ(便・鞭)となるのだ。


今度の火曜日に東京古書会館で行われる「古本・夜の学校」への参加申し込みを以前サイトから行ったのだが、何の返事も来ないのでちゃんと申し込みができているのか不安になる。すでに申し込みは満員となって終了している。電話で問い合わせるしかないのかな。楽しみなトークライブなので(書肆アクセスの畠中さんと石田千さんと荻原魚雷さんだ)ぜひ参加したいものだ。


ブログ散歩。「しね間」(旧「ごぶ・ゆるねん」)でアニタ・オデイの訃報を知る。ネットで検索すると23日の日に亡くなったらしい。
哀悼の意を込めて彼女のCDを数枚聴く。

アニタ・シングス・ザ・モスト

アニタ・シングス・ザ・モスト

アニタ・オデイ・シングズ・ザ・ウィナーズ+7

アニタ・オデイ・シングズ・ザ・ウィナーズ+7


今日の4000番台。

フィーリン・ザ・スピリット(紙ジャケット仕様)

フィーリン・ザ・スピリット(紙ジャケット仕様)


グラント・グリーンが全編ゴスペル曲をとりあげたのがこの4132番。ゴスペルには詳しくないのでどこまで原曲を崩しているのかはよく分からないが、グリーンのギターとの相性はいい。ときおり、ハンコックがジャズナンバーのフレーズを引用したりして、これがジャズのアルバムであることを思い出させようとしているかのようだ。それだけ曲と演奏者が違和感なく融合しているのかもしれない。