二重の20年。


会議を終えて急いで退勤。
診療時間に間に合うように眼科へ行く。アレルギーの薬が切れたのだ。
待合室にいると受付カウンターの奥が騒がしい。どうやら医院の業務用コンピューターに不具合があるらしく、コンピューター会社の社員と医院長がその原因をめぐって意見を戦わせているらしい。社員は電源説を主張し、医院長はPC本体の不具合であると譲らない。どうでもいいから、患者を待たせてないで早く診療してほしい。やっと診察を受けられたと思ったら、「いいですね、よくなってます」とものの3分で片付けられる。それなら、もう一年近く薬を常用しているのに目の回りの赤い腫れがひいていないのはどうしてなんですかと聞こうと思っているうちに医院長はすぐまた社員のところへ戻り、論争を再開していた。


昨日2番目に寄った本屋へ行くと昨日はなかった「愛蔵版グレート・ギャツビー」が1冊だけプラスチックの背もたれの上に鎮座ましましている。早速小脇に抱えてレジへ。後には主を失った透明なプラスチックの背もたれがさびしく蛍光灯の光を背後に透かしながら佇んでいた。
他に仕事本を1冊買い、『図書』11月号を貰って店を出る。


夕食を済ませてから歩いて帰宅。「姑獲鳥の夏2」を聴きながら家路を辿る。家に着く前に聴き終えた。まだ関口巽久遠寺家へ乗り込んではいない。3の配信はいつなのだろうか。本を読んでいるから内容は知っているのだが、段々調子が出てきた談春師匠の語りで最後まで聴いてみたいのだ。


帰宅して「愛蔵版グレート・ギャツビー」をカバンから取り出す。箱から本を出し、まずは村上春樹氏による訳者あとがきに目を通す。長年の念願を果たそうとする村上氏の強い思い入れが伝わってくる。今から20年くらい前に氏のエッセイで「グレート・ギャツビー」翻訳への夢を知り、いつかは村上さんの訳で読んでみたいものだと思っていた。フィッツジェラルドの小説は箱入りの大柄な本より新書や文庫で読む方がしっくりくると思うのだが、この村上氏と僕の二重の20年の思いを考えると愛蔵版の大きさが必要だなと考えてこちらを選んだのだ。
70ページほどを読む。リズムにこだわったと訳者が言うように読みやすい文章だ。語り手の《僕》が会話の相手に答える短いフレーズの訳し方に村上氏のうまい手さばきを感じる。昔、他の人の訳で読んだ時よりも面白く読めそうだ。

愛蔵版 グレート・ギャツビー

愛蔵版 グレート・ギャツビー


『図書』に目を通す。鷲尾賢也「本の『資格』とは」が塩山芳明「出版業界最底辺日記」を取り上げて絶賛している。それに岡崎武志さんや坪内祐三さんの名前も出てきていた。
11月の刊行案内を見ると「完本 正岡容 寄席随筆」が12,600円とある。う〜ん、そう来ますか。しかし、編者の1人に学生時代に教わった永井啓夫先生もいることだし、桂米朝小沢昭一大西信行各氏による書き下ろし解説と永井先生による年譜も入っているとあれば買うしかないんだろうな。
12月の刊行案内には村井弦斎「酒道楽」(岩波文庫)と岩波書店編集部編「翻訳家の仕事」(岩波新書)が載っている。これは要チェックだ。



今日の4000番台。

エルダー・ドン(紙ジャケット仕様)

エルダー・ドン(紙ジャケット仕様)


ドン・ウイルカーソンのBN2枚目のアルバムが4121番。なんだかいつものBNアルバムより音量が大きいのではないかと思うくらい元気一杯。グラント・グリーンのギターの音もなんだが3割増しくらい大きく聴こえる。元気があってよろしいという感じ。


1冊購入。
【購入できる新刊数=0】