波に飲まれて。


遅番のためゆっくり起きて、家を出る。


バス停まで行くと、係員の人から「事故があったため、時間がかかります」と言われる。所要時間を確認して、歩いた方が早いことが分かり、駅方面への坂道を徒歩で下り始める。午前中の陽射しが強くさし、上着を脱いで歩いてもすこし汗ばむくらいだ。30分程歩いて職場近くの歯医者へ。約束の時間を5分過ぎてしまった。
待合室で汗を拭いながら杉本秀太郎「半日半夜」を読む。今日は混んでいるらしく、1時間近く待たされる。おかげで読書はかなりはかどったけれど。気がつくと5月も今日を含めてあと2日。それまでに「半日半夜」を読み終わらないと今月の講談社文芸文庫ノルマを達成できないということになる。その場合は来月のノルマが2冊になる(「半日半夜」を除いて)ということがいつの間にか自分の中で決まっていて自分でちょっと驚く。まあ、講談社文芸文庫積ん読本には読みたい本が目白押しなのだから、うれしい悲鳴と言えるのだが。
治療は15分程で終わり、あと1回で終わりだと先生に言われ、ほっとする。


職場に着いた途端に上司につかまり、仕事の波にどっぷ〜んと飲み込まれる。辛い海水を飲みながらもがいているうちに気がつけばまた夜9時を過ぎていた。


職場を出るが、本屋に寄る気力なくそのまま帰宅。
明日の早朝にサッカー日本代表とドイツ代表の親善試合が放送される。録画予約はしてあるが、早起きして見ようかどうか悩むなあ。


米原万里さんの訃報に接する。僕は決して米原さんのよい読者ではなかったが、エッセイストで作家で読書家であったその存在を好意的に見てきたつもりであったので、残念だ。『週刊文春』の“私の読書日記”の5週に一度の連載も読んでいたのだが、最近癌治療本を取り上げることが多くなり、ご自身が癌を患っているのだから仕方ないと思いながらつらい現実から目を背けるようにこのごろは避けて余り米原さんの回を読まなくなっていた。今回の訃報を聞いて『週刊文春』5月18日号を手に取ってみると偶然米原さんの担当の週で、表題は「癌治療本を我が身を以て検証 その三」とある。目を通してみるとそこには、己の癌を克服しようと「爪もみ療法」や「刺絡療法」の本を読み、実際にその療法を取り入れた医院で受けた治療とその結果が率直に書かれている。結果は思わしいものではなく、治療に携わった医師も信頼のおける人物ではないというつらい現実が立ちはだかる。しかし、米原さんはその現実から目を背けることをしない。現実と正面切って対決しようとしているのだ。その文章は、ものを書く人間の“覚悟”のようなものを感じさせる。


《こうして刺絡療法と共に爪もみ療法もただちに止めた。効く人もいるのだろうが、私には逆効果だった。》


ここで終わるこの文章が米原さんの絶筆となったのだろうか。読売新聞の死亡記事が米原さんへ冠した“辛口エッセー”という言葉が浮ついて見えてしょうがない。