貝をなくしたヤドカリ。

今日は早めに仕事が終わる。
本屋へ。

これまで何回か見かけたもののパスしていたのだが、1960年代特集とあればやっぱり買っておかないといけない。
レジで『本の話』6月号を貰ってくる。


バス待ちで『本の話』に目を通す。『黒澤明vs.ハリウッド』の著者・田草川弘氏と『天気待ち』(いい本です)を書いた野上照代さんの対談を読む。本の販促対談としては大成功。『黒澤明vs.ハリウッド』を読もうと決める。
6月の新刊を見ると、同じ黒澤明監督関係の本が出る。

以前に 村井 淳志「脚本家・橋本忍の世界」( 集英社新書
を読んだのだが、今ひとつ橋本忍という日本映画を支えた脚本家の人となりが伝わってこなかったので、この本は楽しみだ。
それから文春新書の新刊に京須偕充「とっておきの東京ことば」があるのも気になる。


帰宅して、田村高廣さんの追悼の意味を込めて鬼平犯科帳「雨乞い庄右衛門」をDVDで観る。もうこれで何度目だろう。冒頭近く、田に水を引くための水車を百姓が踏んでいる光景を田村さん演じる雨乞い庄右衛門が飽かず眺め、その姿をまた岸井左馬介(江守徹)が見ているシーンからワクワクする。この水車の映像はこの話の中で何度も雨乞い庄右衛門の顔にオバーラップして写し出されるのだが、それを見ながらどこかで見たことあるぞという感覚にとらわれる。もちろん、以前に見た同じシーンのことではない。もっと別の作品だ。そうだ、田村さんの父親・阪東妻三郎主演「無法松の一生」だと思い当たる。「無法松の一生」でイメージショットとして出てくる人力車の車輪の映像と水車の映像がダブるのだ。そして、そこにはよく似た親子の役者の顔がある。そうか、なんでいままで気付かなかったのだろう。あの水車は人力車の車輪であり、この「雨乞い庄右衛門」は番組スタッフの「無法松の一生」並びに阪東妻三郎という偉大なる役者へのオマージュなのではないか。息子である田村さんの演技も、阪妻を彷彿とさせるいい意味で大袈裟でアクが強くて気持ちをグッとつかまれてしまう素晴らしいものだ。中村吉右衛門江守徹田村高廣といった味わいのある役者が揃ったこういう番組にリアルタイムで出会い、そしてこうして何度でも繰り返し鑑賞できることを喜びたい。
久し振りに鬼平犯科帳を味わううれしさに、引き続き「盗法秘伝」も観る。これはゲストがフランキー堺さんだ。鬼平その人とは知らず、自分の盗人家業の後継者にと惚れ込み盗法秘伝を伝えようとする老盗・善八をフランキーさんが味わい深く演じている。これも大好きな作品だ。今回見直して、何気ないセリフ回しや動きにもいろいろと工夫をこらしながら演じていることがよく分かった。やはり、たぐいまれな喜劇役者であったのだなあとじみじみする。善八と鬼平が悪徳商人の家に盗みに入る場面で、床下から善八が顔を出し、続いて鬼平が出たかと思うと、二人とも一度引込んで、また二人で顔を出すという何気ないシーンの間の取り方のうまさとおかしさを堪能する。すぐれた役者の演技をしっかりと受け止めている吉右衛門鬼平もさすがである。その時は、ただ面白いと思って観ていたのだが、今になってみればなんと贅沢なものを味わっていたのかが分かる。


団塊パンチ』から、本橋信宏「VANの神話」を読む。これは、ヴァン・ヂャケットの元社員の人たちにあの頃の話を聞いて行く連載の1回目にあたる。晩鮭亭を名乗る以上、素通りはできないですよね。
元社員で、倒産の直前に退職し、その後『ポパイ』や『ブルータス』などの雑誌に関わってきた黒川さんがあの頃と今の自分を語っている。あの頃のVANを知る黒川さんは最近街で真新しいロゴの入った服を見かけると目を背けるという。それは、既に討ち死にしたVANの死体を見るような気持ちになるからなのだろう。
僕が、VANの服を着るようになったのは20代になってからだ。もちろんその頃には石津謙介率いるあのヴァン・ヂャケットは解散してしまっており、その商標だけを大手のメーカーが買い取って作っていたものだ。しかし、僕はそれを自分の父の世代が20代の時に着ていたという歴史込みで買い、そして身につけていたつもりだった。自分の生まれた時代の空気に袖を通しているような気分もそこにはあったのだ。しかし、そんな僕は黒川さんから見れば死体を背負って歩く物好きでしかなかったのだろう。
そんな僕でも、ショップ展開をせず、ただ倉庫を使ったファミリーセールで愛好者に販売するだけの今のVANには正直興味を感じない。もうここ数年案内状が来ても晴海のファミリーセール会場へ足を運ばなくなっている。すでに自分の身につけているものでVANのロゴが入ったものはほとんどなくなってしまった。それも仕方ないと諦めている。
貝をなくしたヤドカリは、貝の代わりにユニクロというプラスチック容器を背負って日々を生きて行くだけだ。


【購入できる新刊数=2】