表と裏、外と中。

朝、一度目覚めてまた寝る。二度寝の幸せを味わう。


風呂で落語を聴こうと先日買っておいた中古CDのケースを開けて驚いた。ケースには三遊亭圓生「汲みたて/樟脳玉」となっているのだが、中に入っていたCDは「盃の殿様/猫定」であった。古本屋に売る前に持ち主が入れ間違えていたのか、古本屋で検盤の時にすり替わったのか。まあ、あわてても仕方ないので、「盃の殿様」を聴きながら湯舟につかる。


風呂上がりに録画しておいた「ゆるナビ」を観る。他のコーナーはすっ飛ばし、リリー・フランキー氏のナンシー関邸訪問をチェック。思いのほかすっきりとした仕事場とむしろ何もないと言っていいくらいのテレビ視聴ルームがうつる。ちょっと、この整然とした感じは、イメージと違う。もちろん、彼女の死後に同居していたという妹さんによって整理されているのであろうが。少しであるが、動いてしゃべるナンシー関さんの姿を観る(たぶん、初めてだと思う)。「将来の夢」を問われて、「日本の名工100人なんかに入ってみたい」というようなことを言っていた。テレビ評論家とかコラムニストなどと呼ばれることに対する照れが、このような「職人」として自己を規定する発言に繋がっているのだろう。
ナンシーさんの文章を読んでいて、いつもそこに“恥ずかしさ”や“照れ”という感情が感じられた。そんな“含羞の人”だからこそ、臆面もない芸能人の言動に敏感に反応し、それが皮肉な怒りとなって消しゴム版画と文章に現れたのだと思う。


昨日の野外活動の影響か、鼻がぐずつく。マスク焼けしてまで防御したはずなのに、この結果では目も当てられない。ティシュを使い切り、コンビニに買いに行く。ブックオフにでも行こうかと思っていたのだが、断念して家で読書。


木山捷平長春五馬路」(講談社文芸文庫)を読む。
「大陸の細道」が満洲の冬の寒さと己の境遇への憤りが描かれていたのに対し、「長春五馬路」はかの地の春と諦念が描かれている。「大陸の細道」に登場していた男性たちの姿はなく、主人公・木川正介の近くに居るのは後家、娼婦、少女などの女性たちばかりである。性的な話題も多く登場する。それは戦争をかいくぐり、不穏な外地でなんとか生き残ろうとする主人公の生への執着に関連するものなのだろう。


長春五馬路」読了後、本棚から「苦いお茶」(新潮社)を取り出してきて、続編とも言える短篇「苦いお茶」を読む。満洲で知っていた子供・ナー公と図書館で久し振りに出会った主人公が、短大生となった彼女と酒場で酒を飲む。昔、ナー公をオンブしてやった思い出を持つ主人公は彼女から頼まれて酒場でオンブしてやる。それを見咎めた学生に対し、ナー公が見事な啖呵を切るところがいい。満洲時代にあった彼女の母親と主人公の一夜の関係が語られているだけにこの懐旧の行為に淡く匂ってくる性のイメージが何とも言えない雰囲気を醸し出す。
この「苦いお茶」は、去年店を閉めた地元の古本屋で手に入れておいたものだが、持っていてよかった。装幀は畦地梅太郎氏。


今日の音楽。

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第27番・第28番・第33番・第42番

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第27番・第28番・第33番・第42番

演奏も深い緑色に塗られたCDもいいのだが、ジャケットの苦悩する内田光子さんはいただけない。クラシックを難しくて額にしわ寄せて聴くものに感じさせかねないと危惧していたら、裏の写真にはにっこり笑っている内田さんがいた。なるほどね。でも、こちらが表でもよかったと思うな。
モーツアルトに皺は似合わない。


本日1冊読了につき、買える本が増えた。

【購入できる新刊数=7】