古本と雑誌は別腹。

今日は出張で野外仕事。朝から天気がよく気持ちいい。
出張先への行き帰りに河盛好蔵「回想の本棚」を読む。広津和郎を扱った「やさしいひと」という文章の中によく引用されるフレーズを見つける。
《私は梶山季之君編集の『噂』という雑誌を毎月愛読し、現代日本文学の研究家は例えば岩波の『文学』と同じくらい『噂』を利用することができなければ、本当に血の通った作家研究をすることはできないだろうと信じている》
いかにも坪内祐三さん好みの表現だなとニンマリする。


出張仕事が早く終わったので、白楽で途中下車し、古本屋を数軒回る。高石書店で三國一朗「肩書きのない名刺」を2冊見る。探しているときはまったく姿を現さず、中公文庫版を買って読んだ後になると一度に姿を見せるのだからおもしろい。他の三國本(「続肩書きのない名刺」や「鋏と糊」など)がないかと探すが見当たらず。
鉄塔書院の棚を眺めていた時、先程頭をよぎった「鋏と糊」(自由現代社)を発見する。本には著者謹呈を示す短冊が挟まっていた。この短冊の紙質、色合い、使われている活字と押されている印、そのすべてがいい。三國さんの趣味のよさを感じる。わざわざ途中下車したかいがあったとよろこんでレジへ。古本は別腹(先日決めた1冊読まないと1冊買わないというルールに該当しないということ)なのだ。


最寄りの駅まで戻って本屋へ寄る。

  • 『pen』4月15日号

“心を揺さぶるグラフィックの宝庫。雑誌のデザイン”特集。またかという思いもないわけではないが、豊富に雑誌の写真が載っているので購入。先日書き落としたが、雑誌も古本と同じで1冊とカウントしないことにする。そう決めた自分に対してもうひとりの自分がぽつりと「ザル法」と呟いた。

よってたかって古今亭志ん朝
帰宅後、「よってたかって古今亭志ん朝」を読む。志ん朝師匠の弟子にあたる7人の噺家さんの座談をもとに構成された本。弟子たちに見せた普段の志ん朝師匠の姿がうかがえて興味深い。志ん朝師匠が癌に冒されて他界するところは、数年前に癌で死んだ父親とオーバーラップする部分があり、胸が詰まるような気持ちになる。
落語協会分裂騒動のところでは、立川談志師匠への批判が口々に飛び出す。他のところでテープを聞かせて話を覚えさせる他の師匠への批判があり、これも立川流を連想させる。ここに描かれる自分勝手でわがままで無責任な談志像と『en-taxi』連載の立川談春談春のセイシュン」に登場する器の大きい芸の鬼神としての談志像とのギャップが楽しい。ひとりの人間がそれぞれの人間にこれだけ違うイメージを与えうるということ。それが人間というものの面白さなのであり、どちらが本当でどちらがウソかというような問題ではないのだろう。
「よってたかって古今亭志ん朝」を読了し、これで買える新刊が3冊になった。


【購入できる新刊数=3】