小林信彦「うらなり」を読む。

本日も午前中を野外の仕事で過ごす。昨日と違い陽射しがあるだけ助かるが、風はやはり寒い。
午後2時前に退勤し、今年初めての神保町へ。まずは、書肆アクセスで畠中さんにご挨拶。昨日岡崎武志さんが来られたとのこと。2月に池袋のジュンク堂で行われる坪内祐三さんと岡崎さんとのトークショーの予約をしたと話したところ、畠中さんはショーがあることをご存じなかったようだ。早速、予約されるとのこと。今日の目的であるこの1冊を購入。

  • 川崎彰彦「ぼくの早稲田時代」(右文書院)

ぼくの早稲田時代
装幀は林哲夫さん。古い早稲田界隈の写真がいい味を出している。1950年代の早稲田大学生の青春群像を描いた小説で、作家の五木寛之氏も仮名で登場する。面白そう。最近は右文書院から目が離せない。昨年は堀切直人氏「浅草」シリーズや鈴木地蔵氏の「市井作家列伝」を出し、今年も、海野弘コレクションや向井透史さんや南陀楼綾繁さんの本が出版を予定されている。よしよし。
東京堂で、これまで何度も先送りしてきたこの本を買う。

文芸時評という感想
東京堂の名物サイン本棚から。積ん読してある「ラブシーンの言葉」と一緒にまとめて読む時を想うと思わず口元がほころぶ。文芸雑誌の平台に『文學界』2月号が出ているのを見つけ手に取ると、表紙に“小林信彦「うらなり」一挙掲載”の文字が。去年出た「丘の一族」(講談社文芸文庫)の自筆年譜2005年4月の項に《以前から約束していた文芸誌の書きおろし小説の準備を始める》とあったことを思いだし、「これか!」と心の内で叫ぶ。今日はまだ神保町で買い物をし、荷物が増える予定なので、地元の本屋で買うことにする。
タテキン、コミガレと覗くが何も買わず。喫茶ぶらじるで一休み。禁煙室が満席だったので、喫煙席に座るが案の定咳が連続して出る。いつもなら平気なのだが、今はちょっとした刺激に反応してしまうのだ。左右の席に坐ってタバコを吸っている人は、咳き込む僕を見て禁煙運動家による嫌がらせだと思ったのではないかな。幸いしばらくすると収まった。先程東京堂で入手した『日本古書通信』に目を通す。岡崎武志さんが明治大学アカデミーで実施した古本講座について書いている。盛況だったようだ。明大の講座の受講者の方たちは暮れに行われたコクテイルのイベントにも参加されていたっけ。その他、ゆまに書房が刊行を開始した「文藝時評大系明治篇」に関する文章も載っている。今読んでいる「紙つぶて」でも谷沢永一氏は文芸時評の重要性を繰り返し述べていたが、意味ある企画だと思う。一巻18000円という金額は個人にとっては厳しいものであるが、学校や公共機関の図書館は是非購入して揃えてほしい。そうしないとこのような金のかかる出版は成り立たなくなってしまい、本来図書館が収めるべき種類の本が根絶やしにされてしまうだろうから。
神保町に来てまだ古本を1冊も買っていないなと思っていると山陽堂の店頭棚からこれを見つける。

小谷野氏の音楽エッセイ集。新刊で買い逃していたもの。
例によって例のごとく日本特価書籍で新刊を大人買い(?)。

時代小説盛衰史
今日来た主な目的は「時代小説盛衰史」の入手にあったのでうれしい。前回来た時には売れてしまって在庫がなかったのだ。
今日もまた沢山買い込んでしまったのだが、来週から仕事が本格的に忙しくなるので、次回いつ神保町に来れるか分からないためとりあえず気になる本をまとめ買いしておこうと思った結果である。遅まきながら、今年の目標を“本を読む”と定め、氷河のように無くなることを想像させない積ん読本の壁を少しずつでも切り崩していくことにする。信じてもらえないかもしれないが、本を買う時は必ず読むつもりで買っているのだ。装幀に惹かれて買った本でも機会があれば内容も読んでみたいと思いながら買っている。しかし、思いと裏腹に積ん読本ばかりが増え続けて、まるで国債を発行しまくっていたずらに赤字を積み重ねている我が国のような有様なのだが。
地元に戻り、本屋で『文學界』を入手して帰宅。
夕食をとってから、小林信彦「うらなり」を読む。
400字詰め原稿用紙180枚とあるので、まあ中編と呼んでいいだろうと思う。題名から想像できるようにこれは夏目漱石「坊ちゃん」を登場人物である“うらなり”の視点から描いた作品である。とは言っても、作品世界は「坊ちゃん」の時間(明治)に留まってはいない。作品は昭和9年の銀座で50歳を過ぎた山嵐とうらなりが再会するシーンから始まる。マドンナを赤シャツに奪われ失意のうちに延岡に転勤したうらなり(私)のその後が明治・大正・昭和という時代の流れに沿って語られていく。延岡から姫路の学校に移り、見合いと結婚が語られ、大阪の資産家と結婚したマドンナとの再会が語られる。この部分がこの作品の2本柱の1つであるうらなり(私)という受け身の人物の一代記という側面だ。これを描くにあたって作者は、作者自身の見合いのエピソードなどを取り入れたり、東京三部作や「結婚恐怖」などに見られる“家”と“母親”というモチーフを援用し、うらなりという漱石作品中の人物を自分の作品人物に変換している。
そして、もうひとつの柱は、うらなりの視点による江戸っ子・坊ちゃんの相対化である。この作品において坊ちゃんの“脱主人公化”が徹底的に行われる。うらなりから見れば坊ちゃんは何故だか分からないが自分に親切にしようとしてくる不思議な存在でしかない。また、赤シャツと野だいこに卵を投げて学校を辞めてしまう「坊ちゃん」最大の事件も本来山嵐と赤シャツと間に起こった“正義のための私闘”であったものを勝手に参加してきた坊ちゃんが卵を投げつけることで《喜劇》にしてしまった出来事と山嵐とうらなりから解釈されている。お人好しで、危機管理意識や計画性がないという坊ちゃんの性格は、江戸っ子の負の面を象徴した存在として規定されているように見える。前作「東京少年」で描かれた主人公の父親と同じベクトルを持った人物とも思える。
これら2つの柱を肉付けしているのが、うらなりと山嵐が再会する昭和初期を中心とした風俗描写である。凝り性の小林氏らしく、銀座の《マイアミ・キッチン》や東京駅内の《東京鉄道ホテル》などを2人の会話を使いながらうまく描き出している。昭和7年生まれの作者は、自分が生まれた頃の東京を楽しんで再現しているように感じる。そして、子供が独立し、妻に先立たれた現在のうらなりの姿に70歳を超えた作者の“老い”に対する思いが仮託されているようにも見える。もちろん、「うらなり=作者」というような単純な図式でこの作品を小林氏は書いていない。批判される坊ちゃんにも、山嵐の中にも作者の分身を見つけることはできるだろう(東京にいる田舎者に対する批判など)。
読み終わって、小林信彦本をまとめてある本棚に行き、「別冊新評 小林信彦の世界」を取り出してくる。中に入っている「転換期の文学」という文章を再読するためだ。読み始めてすぐに探していた記述を見つける。そこにはこうあった。
《はじめ、ぼくは、「坊ちゃん」の物語をうらなりという人物から描いてみたい、と考えた。
うらなり氏からみた〈坊ちゃん〉は、殆ど理解を絶した人物であろう。一見、単純明快な物語は、奇々怪々、神秘的な様相を呈するのではないか、と思えた。
かりに「うらなり」と名づけた物語を思いついたのは、もうひとむかし以上まえだったが、文豪の作中人物の名を使うことに抵抗があって、お蔵にしていた。》
この文章が書かれたのが1981年だからこの「うらなり」という作品が小林氏の中に萌芽したのは1970年くらいということになる。それが今年になってこのような形で実現したのだ。いずれ近いうちに漱石の「坊ちゃん」を読み返すことになりそうだ。