「雑誌力」がつく。

今日も寒い野外の仕事を済ませて退勤。
本屋へ寄る。雑誌のコーナーを眺めているとこれを見つけてしまう。

  • 『考える人』2006年冬号

特集“一九六二年に帰る”だ。関川夏央氏が堀江謙一太平洋ひとりぼっち」について書けば、津野海太郎氏が「ロゲルギストと花森安治」を論じ、和田誠植木等佐野洋子各氏へのインタビューもある。1962年に関するエッセイの寄稿者を挙げると、片岡義男河野多恵子河合隼雄山田稔北村薫古井由吉角野栄子という方々。
その他にも「亀倉雄策とは誰か」、「伊丹十三伊丹一三だった頃」といった記事もある。堀江敏幸大貫妙子両氏の新連載も始まっている。加えて坪内祐三氏が連載で取り上げているのは須賀敦子さんである。今回はやたらと分厚く、値段も1400円とゴージャスなのだが、これだけごちそうを並べられるともう我慢できずに買ってしまう。
それにしてもここ数日、雑誌を買い過ぎだよと自分でも思うのだが、やはり気になる特集は家でじっくり読みたい。とりあえず、最近の自分に対して“「雑誌力」がついた”と考えることにする。物事プラス思考で行かないといけないと自分に言い聞かす。たとえ何の解決にもならなくともまず己を納得させなくてはいけない。買っちゃったものはしょうがないしね。
帰宅して、『考える人』を繙く。まず坪内氏の須賀敦子論を読み、続いて山田稔氏のエッセイに目を通した後、堀江敏幸氏の短編小説へ。読み始めてすぐ、これは同誌に連載していた連作短篇集「雪沼とその周辺」の続編ではないかと気付く。作中の地名を正確には記憶していないので、雪沼周辺ではないかもしれないが、作品の傾向としては「雪沼」系統であることは間違いない。両親と妻と義父を亡くした泰三さんが義母とふたりで営む店に若い叔母と甥の2人がやってきたことで、彼の脳裏に過去の様々な思い出が蘇ってくる。現在の社会情勢を反映してか、作中にも経済的な閉塞感や未来への不安が影を落としているが、前作同様、作者はどこかに逃げ道、抜け穴を用意してうっすらとした幸福感のようなものを感じさせてくれる。この「夏の蠅」では、叔母と甥の若さと純真さであり、バス会社による裏の土地の買い上げによる経済的な見通しがそれにあたる。“新連載”と銘打たれているので、これから堀江氏短篇が連作として掲載されていくのだろう。「雪沼とその周辺」が一昨年読んだ小説の個人的1位であっただけに、今後の作品に期待が高まる。
その後、昨日買った『en-taxi』から坪内祐三「昭和八十年に読む『鏡子の家』」を読む。これは三島特集の中の1編。いつものように筆者は自分の読書遍歴と重ね合わせながら三島の「鏡子の家」を語っていく。昭和58年に新潮文庫の新刊として出た「裸体と衣装」を読んだこと。それが「鏡子の家」の執筆時期に重なる公開日記あったことにより「鏡子の家」対する興味が募り、何度かの挫折を経た後に読んだこの作品を《東京を舞台とした風俗小説のような形を持ちながら、実は、長いエッセイなのである》とみる。読後、「鏡子の家」だけでなく「裸体と衣装」も読みたくなる。ブックオフで探してみようか。
今日聴いたアルバム。

ピット・イン

ピット・イン

この前読んだ村上春樹意味がなければスイングはない」の影響で聴きたくなったシダー・ウォルトンの新宿ピットインでのライブ盤。アマゾンで見つけて頼んでいたのだが、入荷待ちということになっていた。頼んだことさえ忘れかけていたのだが、今朝出勤しようとドアを開けたら玄関前にメール便で届いていた。
村上氏も書いていたように、快調で質の高いピアノトリオの演奏が展開されている。思っていたよりもウォルトンのピアノはアグレッシブだ。とは言っても決してトンガっているわけではなく、丸みを帯びたアグレッシブさ。オリジナル中心でスタンダードは「ラウンド・ミッドナイト」くらい。ウイスキー好きのウォルトンが作曲した「サントリー・ブルース」という曲もある。