エンヤはエンヤ。

朝から鼻がぐずついて風邪気味の雰囲気を体が醸し出している。要注意だ。新型インフルエンザはもうそこまできているのだから。
そんな有様でなんとか1日を乗り切って9時過ぎに退勤。
本屋に寄って今月は見送る予定であったこの雑誌を買う。

  • 『東京人』12月号

特集が“ぐるり山手線”だったので今回はパスと思っていたのだが、雑誌の広告を見て「戦中・戦後の失われたフィルムを追う 昨今、日本映画発掘事情。」という田中眞澄さんの文章が載っていることを知ったので気が変わった。小特集が“生誕70年寺山修司の東京地図”であるのも悪くない。
バス待ちに田中さんの文を読む。この夏東京国立近代美術館フィルムセンターで行われた「発掘された映画たち2005」を発端に、海外等で発掘された日本映画のプリントに関わる諸々を語っている。しかし、発掘の中心をなすロシアの映画保存機関所蔵のものにしても完全版と呼べるものは無いに等しく、現存フィルムの欠落の一部を補う程度のものがほとんどであるらしい。それであっても、発掘されたプリントで従来版の欠落部分を補った再編集版が作成されることは少なく、そのままに2つのプリントが放り出されていることが多いという。また、その存在が分かっていながら所蔵者の意向で公開されず埋もれてしまっているフィルムもあるという。そういうものを我々の財産としてより積極的に管理保存及び公開をしていくという腰の据わった動きをもっと公共機関がするべきだとこの田中さんの文を読んで思うのだが、お上に頼っていてはダメなのだろうか。志のある個人や団体の人はいるらしいので、せめて金だけでも出してくれないかな。我が国のしている馬鹿みたいな借金のホンの端っこくらいの金額でいいから。
帰宅して今日帰りがけに入手したエンヤの新譜を聴く。

アマランタイン

アマランタイン

かれこれ5年以上アイルランドに対する漠然とした興味関心を抱いており、かの地を舞台にした映画を観たり、ジェイムズ・ジョイス関係の本を読んだりしているのだが、このエンヤを聴くようになったのもその一環だ。
これまでベスト盤やアルバム等数枚を聴き、さらにこの最新アルバムを聴いて得た結論は、エンヤはみんな同じだからどれかひとつだけ聴けばいいということだ。これは悪口ではなくて、その意味するところは、曲のクオリティが安定していてどれを聴いてもハズレがないということだし、たぶん彼女の伝えたいこと、表現したいことはほとんど変わることなく1つのまとまりとなって彼女の中にしっかりと根付いているということだ。だからどれか1つを聴けばエンヤを知りたいという人には充分だと思うのだ。
7曲目のパナソニックのCMで耳に馴染んだ「Sumiregusa」という曲が日本語の歌詞であることを初めて知る。芭蕉の俳句をもとにしてエンヤが書いた初めての日本語の歌詞だと言う。自分のうかつさに驚きながらも、やっぱり歌詞が何語だろうとエンヤはエンヤだということさと己を納得させる。