猫と作家にゃかなわない。

今日は休日。午前中はのんびり。
涼しい朝だ。この秋初めて湯船にお湯を入れる。
昨日から読み始めた京極夏彦「百器徒然袋−雨」(講談社文庫)の続きを読む。京極堂シリーズのキャラクターの1人である探偵・榎木津礼二郎を主人公とした作品集。相変わらずの大風呂敷ともったいつけたストーリーテリングを楽しむ。気がつくと1時間ほど読んでしまい、お湯がすこしぬるくなってしまった。
湯船につかりながら志ん生師匠の「鰻の幇間」と「佃祭」を聴く。
昼から職場へ。先週の出張で仕事が滞っており、それを多少なりとも片付けようと出かける。夕方まで仕事をして帰る。雨のため職場の前から駅までバスに乗る。ipod志ん朝師匠の「佃祭」を聴く。選ばれ、組み合わされて作られた言葉の海を腕のいい船頭の棹で気持ちよく進む。噺に出てくるしまい舟のように決してひっくり返ったりしないのだ。
駅ビル内の本屋を散策。何も買うつもりはなかったのだが、携帯本を忘れた心細さから、つい平積みになっていた1冊を手に取る。

ペン画ではなく、鉛筆で書いたような線とページ2コマのコマ割りが、のんびりとした安心感を与えてくれる。こんなに色のないマガジンハウスの本というのは珍しいのではないかな。もともとネット上で毎日一コマずつ更新されているらしい。そのスローライティングなあり方もこのマンガに合っているような気がする。
帰宅して、京極本の続きを読んだり、『考える人』の小島信夫×保坂和志対談を読んだりする。小島×保坂対談での小島氏の受け答えは、まさに氏の小説そのもののようにつかみ所がない。小島氏が保坂氏からされたと発言したことはことごとく保坂氏から「言った覚えはないんですけど」、「いや、差し上げていない」と否定されてしまう。どこまで、意識して演じているのかわからないこの曖昧さがこの作家の魅力なのだろうと再認識する。書いた当人が読まれないために4000枚書いたという「別れる理由」は無理(買っといてあきらめてはいけない)でも、せめて「寓話」は読みたいものだ。
              文庫版 百器徒然袋 雨 (講談社文庫)            きょうの猫村さん 1