生きていればそれでいい。

今日は、敬老の日の振替休日。
午前中に洗濯をしながら、昨日買ってきた古今亭志ん朝「世の中ついでに生きていたい」(河出書房新社)を読む。対談集なので読みやすく、するすると読んでいくと池波正太郎氏との対談で志ん朝師匠はこんなことを言っている。
新国劇をおやりになっていたせいかなァ、先生の小説ってのはすごく調子がいいんですよね。文章にも江戸前というのがあるんですかね。そんなふうに思うんですよ。読んでいるとつい声を出して読みたくなっちゃうような語感がね。》
これが後年の師匠による「鬼平犯科帳」朗読CDに繋がっていくのだなあと思う。また、池波氏は辰巳・島田の両巨頭の跡継ぎとして志ん朝師匠と北村和夫さんを考えていたとあかしている。もしそれが実現していたら師匠の落語を聴くという喜びが味わえなかったわけだ。よかった。よかった。
昼過ぎに家を出て、みなとみらい駅に向かう。今日は友人2人と待ち合わせてランチを食べる予定なのだ。友人の1人とは一年以上前に会って以来。友人達に昨日買ったポストカードをプレゼントする。喜んでもらえたようだ。クイーンズイーストのキハチでランチコースを食べる。美味しくいただきました。
その後、赤煉瓦街などを散歩しつつ元町へ。女性2人の買い物に付き合いながら、久し振りの元町を眺める。現在セール中らしく、そのテーマソングが街を流れていた。お茶をして解散。付き合いの長い友人と話しながら歩いていると色々なことが思い出されてくる。とりあえず、こうして元気にお互い生きていられることの喜びを感じる。これって老化現象なのかな。
地元に戻って書店を覗くと、平台で『クイック・ジャパン』のバックナンバーフェアをやっている。まるで最近にわか愛読者となりつつある自分の心中を見透かされているかのよう。思わずクレイジーケンバンド特集(Vol.43)を買ってしまう。
雑誌の棚を眺めていてこれを見つける。

“神保町”特集号なのでパブロフの犬となって脇に抱え込む。レジで『本の話』10月号を貰う。
バス待ちの時間に10月刊行本のコーナーに目を通す。色々なブログで言及されていた10月の文春新書のリストがまばゆいばかりに並んでいる。最低3冊は買ってしまうな。その必ず買ってしまうだろう3冊の“担当編集者から一言”を参考までに書き抜いておこう。

戦後、東京落語界にブームは三回訪れたーー神田生まれの落語少年は物心ついたときから、動物園よりも寄席に行きたかった。長じて落語LPプロデューサーになり、『円生百席』などの録音に携わる。文楽志ん生を中心とした戦後第一回目の黄金時代、志ん朝・談志の二回目、そして若手主流の現在のブームを、すべて現場で体験した。
忘れられぬ高座の名演、ふと垣間見た噺家の日常、楽屋で見せる素顔、真剣勝負の仕事振りなど、ともに歩んだ落語の半世紀が、東京の街並みを背景に蘇る。

マンションの2LDKを埋める数万冊の蔵書が雪崩となってくずれてきた。風呂場のドアが開かない。これは読書の快楽への罰なのか。抱腹、超絶、悪夢の本との格闘が始まるーー。本好き、古本好き、積ん読派に恐怖と共感の嵐をまきおこすこと必至の大エッセイです。著者の草森さんは散歩と雑学を愛する白髪白髯の人。坪内祐三さんをして、「まるで21世紀の植草甚一だ。もう甚一を懐かしがるのはヤメにしよう、ボクたちには紳一がいるのだから」と言わしめました。

司馬遼太郎さんは『この国のかたち』の中で、日露戦争の勝利が日本を調子狂いにさせた、と書いています。ちょうど百年前、ポーツマス講和に反対して起こった日比谷焼き打ち事件がその魔の第一歩でした。政府と新聞と国民の大いなる錯覚はなぜ生まれたのか。厳戒令下に置かれた東京で、新聞の転向はいかになされたか。歴史の襞にわけいって、現在にも通じるスキャンダルを堀り起こし、百年の刻みで日本の近代を捉え直す、読んで楽しい歴史ノンフィクションが誕生しました。

他の本の一言が読みたい方は『本の話』を入手してください。
草森さんと新書ってちょっと結びつかない。いきなり“随筆”とうたってくるところが「紳一」風でしょうか。
黒岩さんの本がまた出てしまう。読みたいと思っている「伝書鳩」(文春新書)や「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)が積ん読状態なのに。でも楽しみ。

世の中ついでに生きてたい