若旦那のように。

今日は遅番なので、洗濯をしてから家を出る。途中駅ビルの「米八」で“松茸おこわ”を買い、総菜の店で“根菜の煮物”と“インゲンのごま和え”を買って職場へ。
午後から出張なので、家から直接出張場所へ行ってもよかったのだが、二つ、三つ済ませておきたい仕事があったので職場へ顔を出す。仕事を済ませ、お茶をいれて先程買ってきた食事をとる。お茶は“黄金桂”という中国茶。友人が買ってきてくれたものなのだが、本当に黄金色をしていて美味しい。おこわも「明烏」の若旦那のように美味しくいただきました。
午後早くに職場を後にし、出張場所へ。その場所というのが陸の孤島といいたくなる所で、横浜駅からバスで40分ほどかかる。バスの中では活字を読めない人間なので、ipodで落語を聴く。志ん生「寝床」を聴きながら、残暑の陽光にさらされた横浜の街を眺める。幹線道路から外れ、左右を鬱蒼とした森が覆う坂道をくねくねとバスは行く。
旦那の義太夫を無理矢理聴かされた番頭が蔵に逃げ込むと、追ってきた旦那は蔵の窓から義太夫を流し込む。我慢の限界に達した番頭は翌朝店を出奔する。「そいでもって、番頭さんは、いま、ドイツにいる」という有名なサゲを聴いたあたりで出張場所に着いた。
冷房のない会場で会議という名の一方的な説明会を聞き、また、バスに乗って横浜駅へ戻る。帰りの志ん生師匠は「羽衣の松」、「二階ぞめき」、「たがや」を語ってくれる。大病後の録音が多いので、決してレベルの高い高座ではないのだが、バスでの無聊を慰めてくれるには充分である。「二階ぞめき」における吉原を家の二階に造るという発想の素晴らしさ。花魁も牛太郎もおばさんもいない階上の吉原で一人芝居に興じる若旦那。手触りのあるバーチャル空間のような不思議な世界が言葉によって作り上げられる面白さ。この噺や「粗忽長屋」などを聴くにつけ、落語の凄さに体が震えるくらいうれしくなる。「たがや」で侍の首が飛び、「たぁ〜がや〜」の声があがるところでちょうど横浜駅に着く。
電車に乗り換えて帰宅。車中の読書は、読みかけになっていた丸谷才一「綾とりで天の川」。「贋作の動機を論ず」の章で、太田道灌名義の偽書「我宿草」を書いた田宮仲宣という人物の紹介に関して丸谷氏は《肥田皓三さんの文章によつて紹介しますよ。》と書いている。この名前どこかでと思ったら、「肥田せんせいのなにわ学」(INAX出版)の肥田皓三教授だった。ただ、丸谷氏が参照した文章が何かは、触れられていないので分からない。
帰宅して、ブログ散歩をしていると「東川端参丁目の備忘録」で、高橋徹月の輪書林それから」(晶文社)が10月に出ることを知る。最初の予定から1年遅れでやっとでるのか。これは読まなければと思う。うれしい。



【月刊アン・サリー計画/今日の1曲】

  • 「Blue Moon」

いわずと知れたジャズのスタンダードナンバー。一時期、この曲の入ったアルバムを集めていたことがある。それぐらい気に入っている曲。不思議と誰が歌っても嫌な気がしない。メル・トーメトニー・ベネットナット・キング・コールビリー・ホリデイ、カーメン・マクレージュリー・ロンドン、みんないい。アン・サリーが歌えばきっといい。