京都、床屋、ブリ、ものぐさ…

仕事を終えて、本屋へ。
カウンターに『本の話』8月号が積まれている。PR誌を貰うときは本を買った時というルールを自分に課しているので、気になっている新書を1冊購入。

  • 倉部きよたか「京都人は日本一薄情か」(文春新書)

7月17日の「ジュンク堂書店日記」で、この本のP222〜224にかけて古本話が載っているという情報を知り、どんな本か興味があった。帯には《名僧に弟子入りして2年で破門された著者によるガイドブックでは窺い知れない古都の顔》とある。副題は“落第小僧の京都案内”。こういう本を買うというのも、すでに気持ちは8月の京都に飛んでいることの証だ。
バスの待ち時間に『本の話』から、「直木三十五伝」(文藝春秋)を書いた植村鞆音氏のインタビューを読む。著者は直木三十五の甥で、歴史学者植村清二氏の息子。インタビューの中で、学校の先生が直木三十五を“ナオキミソゴ”と読んでいたという話が出てくるが、これはこの先生の勘違いなのか、それとも当時はそう呼ばれていたのか、どっちなのだろう。
文春新書8月の新刊案内でこの本が出ることを知る。

案内によれば、母親の存在によって強迫神経症となった著者がフロイトとの出会いにより解放され、独自の理論を構築するに至る思索のドキュメンタリーであるとのこと。この話は「フロイドを読む」(青土社)で読んだことがある。岸田氏を一躍有名にしたデビュー作の「ものぐさ精神分析」(中公文庫)でも、母親の存在のことは繰り返し語られていたはずだ。この新刊も特に目新しい展開はないのかもしれない。書店で中身をチェックしてから購入するかどうかを判断することにしよう。大学時代に「ものぐさ精神分析」を読んだ時には、ずいぶんと面白かった記憶がある。ただ、最後の方になって好きな教え子に対する愛の詩だか短歌だかが出てくるので面食らった記憶があるけど。
床屋により、散髪。床屋の椅子に座ると必ず寝てしまう。これがまた気持ちいいのだ。頭を刈りにいくのだか、寝にいくのだか分からなくなるくらい毎回寝ている。まるで子供ですね。
帰りがけによったコンビニで、今週の『週刊モーニング』の表紙を見ると、「専務 島耕作」の文字が。また出世している。ブリみたい。
夜、近代ナリコ「インテリア・オブ・ミー」を読了。“京都”や“『ku:nel』”といった現在の興味と重なるものが出てくるので、それらの話題を酒のつまみのようにコリコリと味わう。スノードーム好きの近代さんとベナント派の谷本研さん(「ペナントジャパン」)の対談も面白い。最後に見事に図式にはめ込んで喜ぶ谷本さんに対して、ちょっとあきれ加減で眺めている近代さんの姿が目に浮かぶようだ。