國士無双

今日はここ数日に比べるとだいぶ涼しい。
なんとか昼過ぎまでに仕事を終え、都合をつけて職場を出る。向かう先は東京国立近代美術館フィルムセンター。ここで3時から伊丹万作監督「國士無双」の上映があるのだ。以前から興味を持ちながらこの場所に来るのは初めてである。地下鉄銀座線の京橋駅1番出口から地上に出るとすぐそこにフィルムセンターがあった。発券と場内入場は2:30からであるが、何せ初めてで勝手が分からないので、2時過ぎには建物の中へ。一階のフロアにはすでに30名ほどの人々が椅子に腰掛けて待っている。一見して年齢層が高いのが分かる。60代、70代、いや80代の方もいらっしゃるのではないか。僕なんか小僧みたいなもんだ。最後尾について2階にある会場に移動できるのを待つ。本日の携帯本は高島俊男お言葉ですが…6」。この待合室フロアのソファはゆったりとしているので腰掛けながら快適に読書ができる。待合室が一杯になると17名ずつ上の階に向かう階段へ進みそこで立ったまま待たされる。これは高齢者にとっては少しつらいかもしれないなと感じる。2:30に開場。500円払って中へ入る。
しばらくするうちに310名定員の席はほとんど埋まってしまった。後から来る人のなかには若い人の姿もちらほら。大学で映画を研究していますという印象の人が多い。Tシャツに布製のお釜帽とトートバック、そして今風の横長の黒ぶち眼鏡というスタイル。和服を着ている若い女性も見かけた。
3:00から「國士無双」が始まる。全部で21分ほどの短縮版。昭和7年封切り。剣の達人・伊勢伊勢守の偽物(片岡千恵蔵)と本物(高勢実乗)が繰り広げる逆転の喜劇。まず最初に、偽物を担ぎ上げてただ酒を飲みたい侍二人が、人の良さそうな片岡千恵蔵を仲間に引き入れ、伊勢伊勢守を名乗らせる。その後、伊勢守として接待される宴会で、偽物の付け髭がとれ、それを二人の侍が周りに気付かれないようにジェスチャーで伝えようと悪戦苦闘する笑いがある。場面が変わり、本物の方の娘(山田五十鈴)が悪漢達に追われているところを偶然通りかかった偽物が助けるシーン。娘を担ぎ上げて走ってくる悪漢達の前に縄を張っておき、娘を投げ出して悪漢達が倒れると、その娘を偽物が見事にキャッチするという動きのギャグに会場から笑い声が起こる。この場面を見るだけで、時代劇の姿をしているが、やろうとしているのはチャップリンなどの西洋的なコメディであることがわかる。娘の父親(本物の伊勢守)が現れ、「お礼をしたいので家に来てほしい」と頼むのだが、偽物は「それには及ばん」を繰り返すだけ。段々本物が苛立っていくテンポのよい演出がいい。この後、名乗りに関する掛け合いの笑いがあり、続いて本物対偽物の決闘シーンとなる。涼しげにひらひら逃げ回る偽物・片岡千恵蔵とオーバーアクションで追いかける高勢実乗のドタバタとなって、偽物が本物を負かしてしまう。本物が木に打ち込んで取れなくなった刀を、偽物が抜いてあげて、お礼をしてから正気に返った本物がまた斬りつけにくるといったギャグなどが盛り込んであった。
この後、偽物に対してリベンジを誓った本物が、山ごもりをして塚原卜伝を彷彿とさせる名人に弟子入りしたはいいが、あっけなくその名人は本物に負かされてしまうという先程と同じ価値の逆転による笑いとなる。修業した本物が偽物に再び戦いを挑むところでプリントは終わり。残念。続きが見たい。
シナリオによると、結局本物は再戦むなしくまたもや偽物に破れ、偽物は勝った褒美に娘を手に入れ、最後は雪の中で見つめ合った二人がいつの間にか二つの雪だるまになっているというシーンで終わるらしい。
チャップリンなどのルーティーンギャグをうまく取り入れながら、権威や名声といった固定的な価値観でものを見ることに対する批判というモチーフが全体に流れている作品のようだ。スラップステッィクに突っ走ってナンセンスな世界ですべてを笑い飛ばすのではなく、本物と偽物、有名と無名という図式の中でまとめていく理の勝ったところが伊丹監督らしいと感じる。
「國士無双」の次には溝口健二監督「瀧の白糸」(昭和8年無声映画)がかかる。泉鏡花原作で、芝居としても有名なあの話。水芸人・白糸は入江たか子。白糸に貢いでもらう苦学生・村越に岡田時彦。ひとことで言ってしまえば、入江たか子の映画ですね。最後の裁判の場面などで莞爾と微笑むその表情はさすが女優といいたくなるいい顔をしています。それから、思ったよりもカメラワークなどが斬新というか実験的な印象を受けた。ハンディカメラっぽい移動撮影、斜め上からの俯瞰、ピントを固定し、後ろに移動した役者がいったんぼやけて、また前に戻って焦点が合うといった撮り方など。入江たか子が警察に追われて、汽車から飛び降りる場面のカメラの切り替えや車輪のオーバーラップなどにも実験的な手つきが感じられた。この映画が撮られた昭和8年におけるモダンというものがそんな手つきから伝わってきた。昭和6年撮影、7年封切りの「國士無双」も時代劇なのに中身はかなりバタ臭い映画であることも合わせ、この時代はとても興味深い。
5時過ぎにフィルムセンターを出る。風があり、蒸し暑さのないのがうれしい。今日はまだ昼を食べていない。弁士のつかない無声映画を上映する映画館は、とても静かで、空腹を知らせるお腹の音がとてもよく聞こえて困った。幸か不幸か、どこかの席でいびきをかき始めた人がいたので、そちらに皆の意識がいってくれたようであったが。
歩いて銀座に出て、「キッチンスイス」に入る。土日のこの店はとても混んでいるのだが、平日の5時過ぎとあって客は僕一人。この店の名物“千葉さんのカツカレー”を食べる。カツカレーは大好きな食べ物のひとつだから、カレーとカツを一緒に食べたいと注文を出した巨人軍の元3番千葉茂さんには感謝しなければいけない。店の壁にその千葉さんとこの店の関係を物語る新聞記事が張ってある。その記事で千葉さんが松山商業出身だと知る。伊丹万作監督も松山出身だ。正岡子規高浜虚子河東碧梧桐中村草田男洲之内徹などなど松山は色々な人物を輩出している場所。一度行ってみたい。道後温泉にも入りたいし。
お腹もふくれたので、少し銀ブラ。といっても銀座の古本屋回りなのだけど。まずは伊東屋近くの奥村書店へ。店頭から店内を覗くと岡崎武志角田光代「古本道場」の口絵写真と同じ姿で店主の方が座っていたのでびっくり。思っていたより小さな店であった。置いてある本も変に力んでいない感じでいい。その中からこの1冊を購入。

佐野繁次郎装幀。いつ見ても佐野繁さんの書き文字はグッとくる。
閑々堂は店の前についたら丁度店じまいの最中。ムルギー並びの奥村書店は、とりあえず挨拶程度に店内を一巡して外へ出る。晴海通りで盆栽を道に並べて売っている若い人がいた。
地下鉄で帰る。車中も「お言葉ですが」を読む。高島さんの文章はとても読みやすく、とても勉強になる。《実は、関西では、一音の名詞はたいがいみなのびる。》というのは、言われてみて初めて気付く。関西の人や言語の専門家にとっては自明のことなのだろうが、僕には目からウロコの話。「平手造酒の墓」では、高島さんが平手造酒の墓に参った話が出てくるのだが、今日観た「國士無双」の次に伊丹監督が撮った「闇討渡世」の主人公は片岡千恵蔵演じる平手造酒である。このフィルムも失われてしまっているらしい。現在、伊丹万作監督作品22本のうち、完全な状態で観られるのは5、6本に過ぎないのではないか。ビデオで手に入るものは手元に揃えてあるのだが、現在はそのビデオも販売中止になっている。
僕が、伊丹万作という名を知ったのは、その文章からだった。明晰で、諧謔味のある文章が好きで、「伊丹万作全集」(筑摩書房)と大江健三郎(編)「伊丹万作エッセイ集」(筑摩叢書)も買いそろえた。映画が気軽に観られないのであるならば、代わりに文章の方はもっと気軽に読めるようにしてほしい。ちくま文庫でぜひ出してほしい。個人的には監督よりも書き手としての方により優れた資質を持っていた人だと思うので。
そういえば、画家・伊丹万作の存在も忘れてはいけない。洲之内コレクションの中には伊丹作品と推定される絵が1枚入っているのだ。