紫陽花。

本日、退勤後に鎌倉の寺へ。昨日逝去した同僚の通夜。10歳以上年上で、生涯独身を通し、鎌倉の自宅は万巻の書で埋まっていたと聞いている。
今朝、ニュース番組を見ていると偶然今日訪れる予定の寺からの中継があり、紫陽花がひっそりと鮮やかに緑陰を彩っていた。他界した同僚がある人に「俺の葬式にくれば、きれいな紫陽花が見られるよ」と言っていたという。
梅雨独特の晴れているのに雨が落ちているかのごとく肌に湿気がまとわりつく夕闇の中で焼香を終え、職場の仲間と江の電に乗る。上着を脱ぎ、黒ネクタイを外し、線路脇で咲いている紫陽花を見ながら、永井龍男氏の「青梅雨」という短篇を思い出していた。
横浜へ出て、仲間と中華料理で精進落とし。ある人物の困った行動の話題で盛り上がる。料理を食べ、大声で笑い、まるで自分たちが生きていることを確認しているかのようだ。この世は生きているもののためにある。葬儀も墓も死者のためではなく生き残っているもののためにあるように。
閉店まで歓談に興じ、帰宅。
sonny rollins plus 4」(prestige)を聴く。ジャケットの色合いがなんだか紫陽花を思わせるのと音楽の屈折の無さが気を楽にしてくれるので。