ビニールカバーに歴史あり。

日が落ち、暑さも少し薄らいだ仕事帰りに、地元の古本屋を流す。
サブカル系古本屋の100円棚から3冊。

高見本は、昭和46年に出た亀倉雄策装幀の緑のカバー(葉っぱの文様が横罫にあしらわれているもの)が懐かしい。並木さんという人の持ち物だったらしく、名前が書いてある。目次に鉛筆で印が付けられており、特に気に入ったと思われる「夢に舟あり」には唯一花マルがつけられている。こんな詩。
《夢に舟あり/純白の帆なり/美しいかな/涙あふれる(1行空き)風吹き来たり波立ちて/そが美しき舟/波間に傾き没すると見えつつ/夢の外へと去りゆくをいかんせん》
詩にあまり親しんでいない僕には平凡な作に思えるのだが。
海野本は透明のビニールカバーのかかっている時代のもの。このカバーがかかっているだけで、中公新書を買うと得をしたような気になったものだ。本棚を眺めると一番最初に買った中公新書今西錦司ダーウィン論」であることがわかる。高校時代に教科書で読んだ「私の進化論」が面白くて、購入したと記憶する。教科書は筑摩書房であった。「ダーウィン論」もビニールカバー付き。ただし、海野本のようなツルツルのものではなく、つや消しタイプの少し濁りのあるもの。こちらのつや消しのほうが古いように思われる。ビニールカバーにも歴史あり。
八橋本は新潮社の「筒井康隆全集」の月報に連載されていたものに書き下ろし3章を加えて単行本にしたもの。文庫にもならず絶版のままらしいので購入。装幀は山藤章二氏。カバーはもはや一筆書きとなった筒井氏の似顔絵だ。特徴ある前髪はあるのだが、目鼻や右側の輪郭さえ描かれていない。それでも、まぎれもなく筒井康隆氏であるのがすごい。
昔ながらの古本屋で1冊。

和田誠装幀で宇野信夫序文。その後旺文社文庫に入っている。志ん生師匠を回想した一文に目を通す。満洲に2人で慰問に行き新京で満洲放送に出演するとそこにアナウンサーの森繁久彌がいて志ん生師匠がいたくその才能に惚れ込む話から始まる。志ん生圓生に森繁なんて贅沢な組み合わせだ。そう言えば、何ヶ月か前の『すばる』にこの両名人の中国慰問時代を題材にした井上ひさし氏の戯曲が載っていた。買ってあるはずだから読んでみよう。さまざまな志ん生伝説を織り込んだ圓生師匠の回想は、ライバルへの愛情溢れるいい話になっている。それにしても圓生という人はよく見える人だったのだな。その見えすぎるところが落語を演じるときに「噺をしている圓生を見ているもう1人の圓生」の存在を感じさせ、僕などには今ひとつ面白みを感じられない噺家と映ってしまうのかもしれない。
夜になっても、蒸し暑さが取れないので、今年初めてクーラーを入れる。長い夏になりそうだ。