僕のFM

本日朝から出張。一日野外で過ごす。朝9:00の時点で、気温は34℃を超えており、仕事に支障のない限り、日陰にいるように努めたのだが、夕方には手や顔は真っ赤になってしまった。
帰り道、横浜駅西口の有隣堂へ。雑誌を2冊。

前者は、写真特集。著名人の愛用しているカメラを並べたページに自分の愛機“Nikon FM”を発見する。持ち主はモデルの東野翠れんという方(知らない人です)。《15歳の誕生日にプレゼントされた一眼レフ》というコメントを読んで嬉しくなる。僕も15歳の時、修学旅行で使うために父親が新宿のヨドバシカメラで買ってくれたのだ。中・高と使っていたのだが、時代はマニュアル機からオート機に変わっていき、なんだが時代遅れに思われて使わなくなってしまった。それが今から7,8年ほど前、沢木耕太郎写真集「天涯」に刺激を受けて、それまで使っていたコンパクトカメラから久し振りに一眼レフに切り替えようかなと思っていた矢先、実家の父親から「お前のカメラまだとってあるぞ」という連絡があり、Nikon FMと再会することとなった。ちょうど、それが僕の海外旅行ブームと重なり、ロンドンやギリシャへの旅行に帯同し、自己満足系の恥ずかしい写真を沢山撮った(沢木氏の写真を真似るとそうなってしまうのです)。僕の写真の唯一の長所は、自分をほとんど撮らないこと。職場の人に旅行の写真を見せると「なぜ、自分の写真がないの」とよく聞かれる。その時にはこう答えることにしている。「美しいものしか撮りたくないので」と。同僚はそれを聞き、笑ってくれる。いい人達だ。
僕が写真をまた撮り出したきっかけを作ってくれた人が、沢木氏の他にもう一人いる。それは、片岡義男氏だ。氏が、オリンパスOM−1を片手に撮った東京の写真もまた僕を魅了した。沢木氏は風景の写真の中にもドラマを写そうとするが、片岡氏はなんと言うことのない坂道やさみしい商店街のショーウインドウの中のマネキンを被写体にしながらモノそのものの悲哀を写そうとしている感じがする。僕の稚拙な写真と片岡氏の写真との共通点は、ほとんど人が写っていないということだ。まあ、ただそれだけのことなのだが。
エルマガジン』に連載されている山本善行さんの「天声善語」を読む。森山大道写真集「遠野物語」を手に入れた話。河出文庫の森山本「犬の記憶」と「犬の記憶終章」が品切れ絶版になれば必ず古書価があがるという指摘に同感する。実は気になっていたのです、この2冊。よし、手に入れてやろう。
善行さんの文章の隣りのページには近代ナリコさんのインタビューが載っている。近代さんの新刊「インテリア・オブ・ミー 女の子とモダンにまつわるあれこれ」(PARCO出版)にまつわる記事。女の子でもモダンでもなく、インテリアに興味もないけれどこの本には興味がある。
『WiLL』は、いつものように向井透史さんと日垣隆さんの文章を読む。というかそれしか読まないなほとんど。せっかく浅生ハルミンさんの猫のイラストが表紙や巻頭を飾っても“総力特集”に興味がわかないのではしょうがない。この特集に総力をかけるのなら、その力の何分の1かを費やして、せめて書評欄をもう少し充実させてほしいな。書評欄好きのつもりなのだが、どうも食指が動かない。同じ本を取り上げても、もう少し分量を多くするとか、評者のバラエティを豊かにするとかしてもらいたい。例えば、短い方の書評を向井さんに頼むなんてどうだろう。「古書現世店番日記」で時々見受けられる、読んだ本へのコメントはいつも鋭くて楽しい。僕はたまに届けられるそのうれしいオマケのようなコメントを楽しみにしている。忙しい向井さんには迷惑な話でしょうけど。
さあ、明日も一日野外で休日出張だ。額や首筋に“冷えピタシート”を貼って明日に備えることにします。