風呂にお湯を入れたのは誰?

朝、水の流れる音で目が覚める。枕元の時計を見ると朝の4時。音は風呂場から聴こえてくる。行ってみると、湯船からお湯が溢れている。あわててお湯を止めた。どうやら、寝ぼけて起きてお湯の栓をひねり、また寝てしまったらしい。まったく記憶にないのが我ながら不思議。最近休日出勤続きなので、寝不足のためにこんなことになってしまったようだ。6時まで寝て、朝風呂に入り、本日も休日出張へ。
一日野外での仕事のため、くしゃみ・鼻水・咳が出続ける。仕事自体は楽なのだが、これがつらい。空き時間に野坂昭如「文壇」を読み続ける。
夕方仕事が終わる。場所が新横浜だったのでラーメン博物館にでも寄って夕食にするかとも思ったが、咳と鼻の状態悪しく、断念。
家でコンビニ弁当を食べながら、「文壇」と西原理恵子「女の子ものがたり」読了。西原本には大雑把に分けてギャグ系と感動系があるのだが、これは後者。作者自身とだぶる女の子が2人の女の子と友達になり、それぞれの悲惨な人生が綴られて行く。相変わらず救いのない人生を描きながら、それでも彼女たちを突き放しつつ肯定しようとする姿勢が貫かれている。読みながら、名作である業田良家自虐の詩」を思い出す箇所がいくつかあった。
最後に「ともだち」という言葉ですべてをまとめようとしなくてもいいのになとも思う。西原マンガの感動ものがあざとさに堕しそうでその一歩手前で立ち止まっていると感じられるのは、自分を含めた存在を突き放している作者の目であり、また同時にそんな人間存在をどこか肯定してまるごと受け入れようとする視線でものを見ているからだろう。すでに突き放す視線の中に肯定のまなざしが含まれているのだから、ラストでことさら肯定を強調する必要はないと感じたのだ。その点では前作「上京ものがたり」の方が、変にまとめようとしない分、自分の好みに合っている。とはいうものの「女の子ものがたり」もしっかり楽しんで読んでしまいましたが。こういう話を書かせると、やはり西原さんはうまいや。