新潮文庫しか買わない女の子

今日は、昼から出張で、夕方職場へ戻りやり残した仕事を片付けて帰路につく。
いつもの本屋に寄って1冊購入。

昨年出た「上京ものがたり」の姉妹編になるのかな。
本屋で文庫棚を流していると、小学生高学年と思われる女の子が、傍にいた母親に言うような、また独り言でもあるような口調で「文庫は新潮文庫しか買わないつもりなんだけどな」と呟いたのが耳に入ってきた。その言葉を聞いて、自分にも文庫と言えば新潮文庫のことであった時代があったなあと思い出した。生まれて初めて買った文庫本は新潮文庫漱石「こころ」。小学6年生の時だ。現在流通している版ではひらがなに開かれてしまっている「此処」や「其処」といった漢字を見て、なんだか自分が大人の読み物を読んでいる気がしてうれしかったのを覚えている。それからしばらくの間は、本屋に行くとまず新潮文庫の棚から眺める時期が続いた。大学時代に新書判の岩波漱石全集を買うまで、漱石新潮文庫で読んでいたし、シャーロック・ホームズと言えば、延原謙訳の青い背表紙が思い浮かび、哲学に触れたのも新潮の田中美知太郎訳「ソクラテスの弁明」が最初であった。
中学生になってオヨヨ大統領シリーズ(小林信彦)によって角川文庫を知り、海外推理小説にハマって創元推理文庫を沢山買うようにはなったが、僕にとっての文学と教養は新潮文庫である日々は大学入学まで続いていたと思う。
ところで、いったいあの女の子はなぜ新潮文庫しか買わないと誓ったのだろうか。そして、その誓いを破りそうになっている状況を作ったのは、どの文庫に入っている何の本であったのだろうか。ちょっと気になる。
今日のお供本は、野坂昭如「文壇」(文春文庫)。こういう固有名詞が頻出する本が大好きなので、楽しく読む。
本筋とは関係ないが、読んでいて円地文子が上田萬年の娘であるということが書いてあり驚く。そうなんだ、知らなかった。