早稲田に行く。

朝は雨がちらついていたが、昼前から晴れる。
土日と休まず働いたこともあり、昼過ぎに仕事からあがれる状態になった。そこで、急遽午後から早稲田古本屋街に出かけることにする。4月は原則的に土曜が半ドンでなくなり、日曜は休日出勤となるためこの機会を逃すとしばらく動けそうもない。行くなら今日しかないと電車に乗る。車内ではipod古今亭志ん朝朗読の「鬼平犯科帳」を聴く。昨日アマゾンからCDが届き、早速入れておいたのだ。短編「本所・桜屋敷」を志ん朝師匠の声で聴ける贅沢を楽しむ。最初は、師匠の語り口に意識が行っているのだが、もともと好きな話でもあり、いつの間にか話の世界に浸り込んでいた。TVの吉右衛門版「鬼平犯科帳」も好きだったので、頭の中では吉右衛門・平蔵と江守徹・左馬之助の映像が浮かび上がり、その2人を名人志ん朝の語りが動かして行く。聴きながらニヤつきそうになった。
これまで、早稲田の古本屋に行く時は高田馬場駅で下車して歩いていた。この駅から古本屋街までの距離が結構長いため、神保町に行くのと電車に乗っている時間はそう変わらないはずなのに、つい足が遠のいてしまう結果となった。それゆえ、今日は高田馬場から東西線早稲田駅まで電車に乗り、そこから歩くことにする。すると、あら不思議(ではないか)、すぐに古本屋があるではないか。なんだ、今度からそうしよう。
今日、早稲田に来たのは、先日早稲田の古本屋である古書現世向井透史さんから送ってもらった「未来」の連載を読み、早稲田の古本屋にあらためて興味を持ったことと、向井さんに直接そのお礼を言おうと考えたからである。すぐに古書現世へ行けばいいのだが、目の前に古本屋があるとやっぱり寄ってしまう。最初に入った店で新書を2冊。

次の店で文庫を2冊。

こんな調子ではいつ古書現世に辿り着けるか分からないので、他の店は後ほど回ることにして古書現世へ。
店に入るとまず、「未来」4月号が本棚の側面の袋に入れられているのが目につく。昨日の「店番日記」で触れられていた読書特集だ。「ご自由におとりください」という言葉に素直にしたがって1冊いただく。奥の帳場には向井さんのお母さんと思われる女性の姿が。お母さん(推定)は、大学生と思われる客の「赤瀬川原平の本はないか」という質問(国会図書館の書庫にいるのではないんだから自分で探しなさいよ棚をと僕なら思ってしまうが)に、受話器を取り上げ電話の相手に確認をし、丁寧に対応されていた。たぶん、電話の向こうは向井さんなのだろう。残念ながら、向井さんが不在の時に来てしまったようだ。気を取り直して棚を眺める。入ったところにスムース文庫が置かれ、その周囲には“本に関する本”がぎっしり。その中から先日のスムース友の会でご一緒させていただいた編集者の高橋輝次さんの「古本が古本を呼ぶ」(青弓社)を(新刊で買わずにすみません)。小説家の随筆などの棚から外村繁「阿佐ヶ谷日記」(新潮社)、尾崎一雄「ペンの散歩」(中央公論社)の2冊。そして、文庫の棚から戸板康二「物語近代日本女優史」(中公文庫)を購入する。会計の際、お母さん(推定)に訪ねると向井さんは食事休憩でご自宅へ帰られているとのこと。「未来」のお礼の伝言をお願いして店を出る。帳場に置いてあるTVの上で気持ち良さそうに猫が寝ていた。古本と猫はやはりよく似合う。向井さん、また今度伺います。
その後、早稲田の古本屋を流し、以下の本を買う。

  • 稲垣達郎「角鹿の蟹」(講談社文芸文庫
  • 頼尊清隆「ある文芸記者の回想」(冬樹社)

後者は坂口安吾の文章でよく名前が出てきた都新聞の文芸記者の回想録。
久し振りに早稲田の古本屋を回って思ったのだが、神保町の店との違いは、ここの店には生活感があるということだ。神保町の店はほぼ完全に職場となっており、そこに店の人達の生活や家庭の存在を感じることはまずないのだが、ここでは帳場のおばあさんが孫を抱いていたり、他の店の店主が来て話し込んでいたりという風景が当たり前に展開される。この生活感を厭う人もいるとは思うが、早稲田が単なるミニ神保町とは違う雰囲気を与えてくれるのはこの日常を感じさせる存在形態によるものだと思う。神保町だけでもつまらないし、早稲田だけになっても面白くない。両方あるのが楽しいのだ。これに中央線沿線の独立系古書店が醸し出すサブカル的な非日常性が加わり、この三派鼎立があるというシアワセを古本者として喜びたい。
僕のような、大学で日本近代文学を専攻した人間にとっては神保町より早稲田の方が好きな所をついてくる店が多い気がする。いやぁ、早稲田いいですね。
早稲田駅に戻り、近くにあったブックオフに入る。ここでも2冊をそれぞれ105円で。

どうにも止まらなくなってきました。行きと同じルートで帰るのはつまらないので、東西線荻窪に出て、西荻から吉祥寺経由で渋谷に出ることにする。
荻窪ささま書店に行く。まずは店頭均一で3冊。

偶然にも全て筑摩の本。1番目は花森安治の装幀がいい。中の挿画は柳原良平でこれもまたいい。3番目は初版、帯付き、グラシン紙でカバーされた美本。どうしてこれが105円なのだろう。もしかしたら、ささまの店員さんに大の篠田一士嫌いの人がいるのではないかと疑ってしまいそうになる。相変わらずここの均一のレベルは高い。
もはや、鞄は本ではち切れそうになっている。肩に重みが食い込んでくる。それでももう1軒回らなければならない店がある。常田書店だ。以前にも書いたがこの店には何度行っても入れたことがない。今度こその思いとともに店の前にくると、なんと開いているではないか。初めて店内に入る。なるほどガイドブックなどで仕入れた情報通りの品揃えの店だ。店主の嗜好を色濃く反映している感じが伝わってくる店。やっと入れた店だから、挨拶代わりに何か買って帰りたい。充実の小林信彦本の棚の前に立つが、お目当ての「夢の街その他の街」は残念ながらなし。中公文庫の棚から野口富士男「私のなかの東京」(中公文庫)を購入。
最初は西荻も回ろうかと思っていたのだが、もう無理。鞄の紐の付け根が切れかかっているのを発見する。まさか、この鞄もビジネスバックとして生を受けたにもかかわらず、こんなに何度も本をぎゅうぎゅうに詰め込まれ、その尋常でない重みに耐える人生をおくることになろうとは夢にも思っていなかっただろう。その落胆の思いがこんなカタチで出てきているように感じられて鞄が不憫になる。今日はこれくらいで帰ろう(もう充分過ぎるでしょういくらなんでもと自分に言いたい)。
帰りの車中でも志ん朝鬼平を聴く。「盗法秘伝」という話。引退を間近に控えた老盗賊が平蔵の素性を知らず、自分の後継者にしようとする。TVでは老盗賊をフランキー堺が演じていて見応えがあった。「幕末太陽伝」の主人公の老後を見るような思いになる。特にフランキー堺があるシーンで「幕末太陽伝」へのオマージュを贈っている所がある。あれはたぶんアドリブなのだろうと思うが、その有り余る才能を発揮し切れなかったと言われる喜劇役者の消え切っていない残り火が赤々と燃え上がる瞬間を見ることができる。「幕末太陽伝」がお好きな方は、DVDかビデオを借りて見てほしい。おすすめです。
鬼平犯科帳