「消えもの」としての雑誌

相変わらずの同時多発的多忙の渦中にいる。
神経を使う来客が続いたため、8時過ぎには心身ともに限界に達し、職場をでる。

帰り道の書店で、雑誌を4冊。

  • 『文学界』4月号(村上春樹ロング・インタビュー)
  • 『編集会議』4月号(特集:編集者のための書店研究)
  • 『SIGHT』VOL.25(特集:究極のマンガ200冊!)
  • STUDIO VOICE』4月号(特集:写真集中毒のススメ)

今日は、疲れた心をそそる特集の雑誌が多く、次々に脇に抱え込んでしまった。“村上春樹”、“書店”、“マンガ”、“写真集”という言葉に判断力の鈍った頭は条件反射的に飛びついてしまう。僕に雑誌を売りつけることがいかに簡単かがすぐ分かる。『STUDIO VOICE』のように表紙が書棚の写真になっているだけでその雑誌を買いそうになってしまうくらいだ。以前にも書棚の表紙に惹かれてオーディオ雑誌を買おうとし、中にいっさい本の話題がないことがあまりに明らかなため思いとどまったことさえある。一種の病気ですね、これは。
『編集会議』は書店特集でなければまず購入しなかっただろう。実は昨年降板した花田編集長時代のこの雑誌はマメに買っていたのだが、編集長が代わり紙面がリニューアルしてから興味がなくなってしまった。一度ベストセラー特集をしたときに買ったのだが、一回ざっと眺めただけで雑誌の山に置いてそれきりになっている。今回の特集は、楽天ブックスの安藤哲也氏をはじめとするネット書店の旗手3人による座談会や書店の店長や店員へのインタビューなど素材としては面白そうな記事が掲載されているのだが、紙面から面白さが伝わってこない。なぜなのだろうと考えてみると、洒落たイラスト、余裕をもって配された文字組みなどページの隅々がキレイなのである。キレイならよさそうなものなのだが、雑誌にはどこか猥雑で濁った部分がないと面白みがないのだ。その点では、『STUDIO VOICE』の小さい写真と文字組みによる記事がゴチャゴチャと詰め込まれているかと思うと次のページではキャプションもなしに見開きで写真だけがどーんと載せられているような意図的ないい加減さに魅力を感じる。
『SIGHT』の特集はボリュームがある。“徹底検証!年代別ベスト1960−2005”として60年代を夏目房之助渋谷陽一、70年代を村上知彦高橋源一郎、80年代は藤本由香里山本直樹、90年代以降を南信長と枡野浩一がそれぞれ対談でおすすめのマンガについて語っている。その他にも(特集以外の記事も含む)、江口寿史藤子不二雄北野武吉本隆明ら各氏へのインタビューに北上次郎大森望の書評対談、加えて斎藤美奈子山形浩生泉麻人といった豪華連載陣である。目次を見ただけで買いたくなる雑誌である。内容を読まなくてもこの目次だけで僕などは充分お金を払う価値があるように思ってしまう。こういう目次を作る編集者の心意気が伝わってくるではないか。
以前はこんなに雑誌を買うことはなかった。意識的に買うようになったのはここ数年である。昔は、しょせん雑誌は「消えもの」だから、一時的な価値しかないと思っていた。今は、逆に「消えもの」だからこそ、活字の本だけでは捉えきれない時代の息吹を伝えてくれるものであると考えるように変わってきたのだ。また、活字本と違い流通から姿を消してしまった後でそのものを見てみたいと思っても図書館などでフォローできる部分がごくわずかでしかないということもある。これから、古本屋における雑誌の占める割合は増加していく傾向にあるのではないかと個人的に思っているのだが、どうだろうか。アイドルのお宝写真や有名作家の単行本未収録作品掲載などといったプレミアものではなく、ごく普通の雑誌が、ごく普通の価格で手に入るようになれば、過去をもっと豊穣に味わうことができるのではないかと思う。