フォーマル・安吾・佐野繁次郎

いやぁ〜、驚いた。先日、「退屈男と本と街」で紹介してもらったと思ったら、昨日の「店番日記」にもこのブログが紹介されている。
向井さんも我が日記を読んでくれているとは。どうしよう。なんだか緊張してしまう。
この間までそれらのブログの単なる読者だったのに、先月始めたばかりの日記がその方々に読んでもらえるようになるというこの不思議。これがブログなのだなあと今更ながら驚く。

まあ、力もうが緊張しようが自分の力以上のことができるわけではないので、いつも通り行きましょう。

本日は休日である。洗濯をして、昼過ぎに外出。電車で横浜へ出てそごうに向う。今日はフォーマルスーツを買いに来たのだ。実は先日これまでのフォーマルが虫に食われていたのを発見。今月末から来月にかけて結婚式や式典など黒服着用の用事が目白押しなので致し方なく新調することに。そごうにたどり着くまでの横浜駅構内は溢れんばかりの人人人。どうも人混みは苦手である。そごうのフォーマル売り場へ行くと、どうも吊るしで自分の体型に合うものがないことが分かる。結局、イージーオーダーをするはめになった。
それにしても、服を買うというのはなんとも気恥ずかしい。鏡の前で何度も着せ替え人形にさせられて、店員の人にいろいろ聞かれたり触られたり。今日の店員さんは男女とも気持ちのいい人たちなのでよかったが。やはり、商行為も最後に客の心をつかむのは人間性なのだなと確認する。

そごう内の紀伊国屋書店へ。昨日の大量買いの後であるから今日は見るだけと自分に言い聞かせる。次の本が目にとまる。

どれもそそられる本である。特に「特別な一日」は昨日日本特価書籍で探して見つからなかった本。解説が荒川洋治氏というのもいい。だが、今日は見送る。
雑誌売り場に寄ると、『すばる』3月号があった。これも昨日東京堂信山社で探して入手できなかった雑誌(正確には信山社に1冊だけあったが、状態がヘロヘロであったので踏み切れなかった)。特集が「坂口安吾 没後50年」であったので探していたのである。大学時代の卒論が安吾であったので、今でも安吾関係の本と雑誌は条件反射で買ってしまう。禁を犯してこれだけは購入。雑誌は見つけた時に買っておかないといつ手に入るか分からないので。

電車の中で長尾三郎「週刊誌血風録」(講談社文庫)を読む。最近カバンに入れて移動の際に読んでいる本。《文庫書き下ろし》というオリジナルものである。「女性自身」、「ヤングレディ」、「週刊現代」などの記者やアンカーを勤めた筆者の回想録。「女性自身」のアンカー(最終的に記事を文章にする人)として竹中労草柳大蔵小中陽太郎といった錚々たる各氏が関わっていたり、「ヤングレディ」の若手編集者として梨本勝が登場したりと雑誌に関わる人物名を見ているだけでも面白い。そして、昭和史を彩る大事件の数々が現場に立ち会った記者としての作者の目線から描かれているのも興味深い。この値段の文庫に求めるのは難しいのだろうが、こういう本には人物索引や事項索引をつけてほしいものだ。それだけで資料的価値は倍加すると思うのだが。

帰宅して、『すばる』を眺める。パラパラとページをめくってみるが、あまり新鮮味のある特集という感じなし。対談1本とエッセイ5本を並べただけ。概して文芸雑誌の特集というのは、分量が少なく薄味なものが多い。いまだに安吾荻野アンナというのもね。たぶん町田康モブ・ノリオを持ってきたところがミソなんだろうけど。それだけとも言えるし。それにしても『すばる』がこんなに手に入りにくくなっているとは思わなかった。安吾特集だから売れているわけでもなかろう。他の文芸雑誌と比べて発行部数が少ない気がする。内容的に見ても一番危ない雑誌ではないだろうか(つまり休刊しそうということです)。

「店番日記」で海月書林のHPで佐野繁次郎装幀の『銀座百点』が50冊ほどアップされていることを知り、早速覗いてみる。特に佐野氏の書き文字を使った装幀が好きなので、その手のものを2冊ほど注文する。海月書林の新着ページは画像と丁寧な解説を載せているのでとても見やすく、楽しめるものになっている。昨年、荻窪のカフェ「ひなぎく」で行われた海月書林の古本イベントに行き、ミニコミ誌『いろは』と刺し子のブックカバーを買ってきたことがあった。店主の女性はとてもチャーミングな人であったし(向井氏によればかなりの酒豪とのことだが)、ブックカバーもとても気に入って愛用していることもあり、ぜひ頑張って欲しいと思っているネット古書店のひとつ。