3人のために。


 雨の中を神保町に向かう。

 
 休日の書店巡りではなく、仕事の研修会がお茶の水で行われるのだ。


 会場に着いて指定された教室の指定された席に行くと、前の席に座っている男性が椅子をグッと後に下げており、僕の机が隣の机より後に下がってしまっている。後の席の机はもちろん定位置にあるため僕の席だけスペースが狭くなっているというわけだ。半身の姿勢でなんとか身体を机と椅子の間に滑り込ませる。前の男性は後の席に人が来たことを認識すれば椅子を前に引くだろうと期待していたのだが、まったくその様子はない。それどころか研修の途中でもう一度椅子を後に下げる動作を行い、僕の机はその分また押し下げられてしまった。「おう、そう来るのか。上等だよ。あんたがそのつもりならこっちも負けちゃいないからな」と威勢のいい啖呵を心の中で呟き、しばらく相手を泳がせておいて休憩時間に相手がトイレに行った隙にこっそり机で相手の椅子を押し、本来のスペース確保に成功する。己の器の小ささに戦慄するが、その後自分の領土を侵略されることは二度となかった。ミッション成功。


 それにしても、この業界の人たちの服装は地味だなあと教室内を見渡しながらしみじみ思う。男性のセーターの色はほとんど黒かグレー。女性にしても赤や黄色といった明るい色の服を着ている人はあまりいない。ワインレッドのセーターを着た男などもちろん僕だけである。もしかしたら、業界の問題ではなく、震災に対する自粛ムードの現れなのかもしれない。


 午前中から夕方にかけて50分の授業を6コマ受ける。こんなの高校生以来だ。先生の話を聞き、黒板の内容をひたすらノートに取る。午前中の3コマだけでもモレスキンのノートが何ページ分にもなった。


 昼休み、研修場所の建物から出ていそいそと神保町へ。時間がないので東京堂三省堂をサッと流す。

 三省堂の4階で探していたこの2冊を入手。


本の立ち話

本の立ち話

あのとき食べた、海老の尻尾

あのとき食べた、海老の尻尾


 2冊ともあまり厚くない瀟洒な佇まいがいい。


 昼はエチオピアで野菜カレー。辛いのは苦手なので辛さは0倍。まあ、辛いのがいやならカレーを食うなよと言われればそれまでなのだが。


 午後の研修もノートを取りまくり、何とか最後までたどり着く。ふう。


 夕方、研修会場を出て薄暗くなり始めた雨の街に出る。途中、文化学院の前を通る。昔の古い建物がよかったのは言うまでもないのだが、リニューアル後の今の姿も悪くない。雨に濡れたその姿を見ているだけでも研修の疲れが抜けて行く気がする。


 朝よりずいぶん気温が下がっている。古書店はほとんど休み。日本特価書籍も閉まっていた。灯りを半減させたかたちで岩波ブックセンターが営業していたので寄る。


筑摩書房の三十年 1940?1970 (筑摩選書)

筑摩書房の三十年 1940?1970 (筑摩選書)

筑摩書房 それからの四十年 1970-2010 (筑摩選書)

筑摩書房 それからの四十年 1970-2010 (筑摩選書)


 こんな日にもやっていてくれる書店に感謝して地元で手に入らなかった2冊を選ぶ。

 支払いを済ませ店の外に出ようとすると『みすず』の読書アンケート号を持った男性がページと書棚を交互に見比べながら店内を足早に移動しているのが目に入る。この人のあり方は岩波ブックセンターにおいてまさに正しいと思う。


 
 本をたくさん買って帰る。


 今、被災地ではない首都圏での買い占めが問題になっている。それに警鐘を鳴らすポスターもある。ガソリン10リットルでケガ人が4人助かるというような。

 食べ物やトイレットペーパーやガソリンの買い占めは悪い結果をもたらすが、本をたくさん買うことは、少なくとも著者と編集者と書店員の3人を救うことになる。

 本をたくさん買いましょう。もちろん、読んでもなんの問題もありません。