売ったを憂える。


 寒くなってきました。


 職場にアマゾンから注文しておいた仕事関係の本が届く。空き時間にちょこちょこと読み始めたら止まらなくなり、仕事の合間を縫って退勤までに3分の1ほどを読む。これまでの常識に物申す姿勢が小気味よい。もう80歳近いのにまったく枯れていないのがすごいや。絶版の新書も探してみよう。


 退勤して本屋へ。


 一回りして帰ろうと思っていたらレジ前のワゴンに出くわす。その中身を見ると町山智浩アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」(文藝春秋)がびっしり並んでいる。なんだこの間からありそうな棚を探していたのに灯台もと暗しでここにあったか。

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)

 同じビルのうどん屋でけんちんうどん定食を食べながら町山本を読む。ニューヨーク州の場所を示せないアメリカ人が5割もいるという話題を「しょうがねえなあ」と思いつつ読みながら、四国4県の位置を正確に指摘する自信のない自分をふと思い出す。


 帰りのバスでは柳家小三治「宿屋の仇討」を聴く。この噺ではこのバージョンが一番好き。「小間物屋ぁ~ん」や「いはーちぃー」など小三治師匠独特の言い回しが耳から離れない。


 帰宅後、コンビニで買った『週刊文春』をチェック。「文庫本を狙え!」は村山槐多「槐多の歌える」(講談社文芸文庫)をとりあげる。文中坪内さんが〈弥生書房から出ていた一冊本の『村山槐多全集』を手にし、そこに収められていた詩、散文、短篇小説、日記を読み、驚かされた。まるでランボーではないかと思った。〉と言っているのを読み、9月の外市で「村山槐多全集」を売ってしまったことを少し後悔する。
 まあ、講談社文芸文庫を買うための準備だったと思うことにしよう。

槐多の歌へる 村山槐多詩文集 (講談社文芸文庫)

槐多の歌へる 村山槐多詩文集 (講談社文芸文庫)