ゆるしてちょうダイナ。

風邪ひきにはうれしい休日。10時近くまで寝ている。
湯船に浸かりながら桂小南「いかけや」と「運廻し」を聴く。名前は知っていたが噺を聴くのは初めて。しゃべり方から関西出身の噺家だと分かる。「いかけや」は「真田小僧」と「小言念仏」をミックスしたような噺。「運廻し」は若旦那のでない言葉遊び版の「酢豆腐」かな。
クリーニング屋とコンビニに行った以外は外出をせず終日部屋で過ごす。音楽をかけながら坪内祐三「極私的東京名所案内」を読む。この文章が『彷書月刊』に連載されていたということをまったくこの本が出版されるまで知らなかった。そのため初めて読むものばかりなので興味津々でページをめくる。最初の「品川 土蔵相模」で映画「幕末太陽伝」を観直してみたくなり、「丸の内 帝劇」で永井龍男「石版東京図絵」を、「浅草奥山 奥山閣」で山本笑月「明治世相百話」を、「銀座 富士アイス」で安藤更生「銀座細見」を積ん読の山から取り出し、読んでみたくなる(思えば全部中公文庫だ)。また、「銀座十字屋」では、先日の神田古本まつりで見送った太田愛人「開化の築地・民権の銀座」(築地書館)を買っておけばよかったとくやみ、本書を読み終えた後には、やはり筑摩書房の「明治文學全集」別巻「総索引」は持っていなくてはいけないと全集がないのに考えてしまう。坪内本はいつもこのように購書中枢と読書中枢をやたらと刺激してくれる。うれしいやら困るやら。
読書に飽きて、映画を観る。「クレージー作戦 くたばれ!無責任」(監督坪内孝 1963年)は、無責任映画の人気絶頂期であるだけにキャストは豪華だ。上原謙山茶花究東野英治郎淡路恵子などが脇を固めている。古澤憲吾監督ではないので由利徹の怪演が観られないのが少し寂しい。個人的にこのシリーズは内容云々ではなく、自分が生まれた頃の東京の街とそこを動き回る植木等の姿を観る為のものなので、それができて満足。
夕食をとってから、また音楽を聴きつつ、本を読む。カバンに入れ忘れて読み残していた京極夏彦「百器徒然袋−雨」(講談社文庫)を読了。御馴染み異能の美貌探偵・榎木津礼二郎が活躍する短篇集(といっても1作が安部公房の長編くらいの長さがある)。謎解きがどうのではなく、この爆発的なキャラクターを楽しむ。相手の記憶を読めてしまう探偵を登場させた時点で狭義の本格派推理小説の枠は飛び越えてしまっているのだから。この人物を登場させたことによって京極堂シリーズ第1作「姑獲鳥の夏」のあのとんでもない結末は読者に受け入れられたのだと思う。普通の本格派であれをやったら物が飛んできますよ絶対。あれを受け入れた時点で、僕はこのシリーズに謎解きは期待せず、おなじみのキャラクターと蘊蓄と昭和20年代後半の雰囲気をうまく利用した曖昧模糊とした雰囲気を楽しむ読物と考えるようになった。
今日聴いた主なアルバムはこんなところ。

昨日の余韻でエリントンのビックバンドが1956年のニューポートジャズフェスティバルに出演したライブ盤を聴き、その繋がりで後の2枚を選ぶ。後の2作は映画「真夏の夜のジャズ」の舞台となった1958年のニューポートジャズフェスティバルの時の録音。マイルス・クインテッドの映像は撮影失敗のため映画には出てこない。ダイナ・ワシントンは大きなリボンのついたドレスで楽しげに歌っている姿を画面で見ることができる。ただ、彼女にとって不幸だったのは、その前にアニタ・オデイのステージが収録されてしまったことだろう。この時のアニタは素晴らしい。これをやられてはダイナも降参するしかしょうがないでしょう。
Ellington At Newport 1956