坪内版「夢の砦」へ。

今日は、仕事が早く終わったので家で読書。
坪内祐三さんの「私の体を通り過ぎていった雑誌たち」(新潮社)を読了。
新書百冊」(新潮新書)もそうだけれども、個人史に絡めて本や雑誌を語る時の坪内節はいっそう冴え渡り、“普通読”ではおさまらず、機会があれば何度でも“熟読”したくなる。坪内的雑誌クロニクルは、大学でのミニコミ編集から手を引き、大学院へと進んだ著者が、研究材料としての洋書を買いに行ったニューヨークで、自分の文章をほめた群ようこさんの文章を読み、諦めかけた編集者の道の方へ気持ちが傾く(ように読める)ところで終わっている。坪内さんにしては、ずいぶん思わせぶりな締めくくり方だ。
こんな終わり方をされれば、当然読者は続きを読みたくなる。続きとは、雑誌『東京人』の編集者となった後の話のこと。
あとがきにもこうある。

《『東京人』について書き始めたら、優に一冊分になってしまうので、それはいつかまた改めて、たっぷりと書かせてもらうことにしたい。》

坪内さんは『東京人』編集者時代にいろいろな出来事があり、結局天職と考えていた編集者を辞めることになったことをこれまで何度が書いているが、具体的には何も語っていない。しかし、この本の中でも、それを匂わせる目配せを読者にしているところをみると、そう遠くない将来に一冊の本として我々の前に届けられそうである。それが書かれれば、坪内さんが敬愛する(それはまた僕も同様だが)小林信彦氏の編集者時代を小説化した「夢の砦」新潮文庫)の坪内バージョンとなることだろう。う〜ん、楽しみだ。

坪内さんと言えば、本の雑誌社のHPによると、『群像』の連載が「『別れる理由』が気になって」(講談社)という本として出版されることが決まったようだ。坪内版「夢の砦」がカタチをあわらすのを、この本を読んで待っていることにしよう。そのためには小島信夫の「別れる理由」も読まなくてはいけないし。いやぁ、忙しい。

帰りに書店で1冊。

この他にも今月の新潮文庫伊丹十三エッセイを3冊同時に出している。「ヨーロッパ退屈日記」、「女たちよ!」、「問いつめられたパパとママの本」で、前の2冊は文春文庫で持っているものだが、カバーの質感も考えた装丁になっており、買って読み直してみようかなと思っている。特に「ヨーロッパ退屈日記」のあの突き抜けたスノッブさがたまらない。“才人”とか“才気走る”という言葉はこの人のためにあるのかと思わせるものをこの時期の伊丹十三氏に感じる。