なんとか旧型PCでダイアルアップによるインターネット接続に成功する。
ADSLに慣れてしまったせいで、やたらに反応が遅く感じてしまう。
ほんの1年前までは特に遅いというほどのストレスも感じずに使っていたのに。
帰宅するとポストに冊子小包が。海月書林より注文していた『銀座百点』が2冊届いていた。
- 『銀座百点100号』(1963年4月)
- 『銀座百点150号』(1967年5月)
ともに佐野繁次郎氏の書き文字による表紙となっている。150号は白地に黒の書き文字をあしらった表紙の右下隅に紅白のチェック柄の布地を配してあり、そのアクセントが心憎い。
100号を眺めると、「レマルシャンの靴」という演劇の合評会に、志賀直哉・久保田万太郎・戸板康二・円地文子・池田弥三郎といった錚々たる面々が顔を揃えている。その他にも吉屋信子、下母沢寛、宮尾しげお、横山泰三、津村秀夫といった名前が目次を飾っている。そして、巻末には創刊号から100号までの総目次が掲載されている。その中から読みたいと思うものを抜き出してみる。
- 山本嘉次郎「銀座のロケーション」(2号)
- 徳川夢声「汗閑記」(5号)
- 榎本健一「僕と銀座」(8号)
- 安藤鶴夫「銀座歳月」(13号)
- 双葉十三郎「銀座と映画」(15号)
- 古川緑波「あの頃この頃」(26号)
- 桂文楽・桂三木助・柳家小さん・久保田万太郎・戸板康二他「東京言葉は共通語か」(37号)
- 田村泰次郎「現代画廊」(52号)
- 中原弓彦「女は女である」(82号)
挙げていけば切りがない。「現代画廊」は洲之内徹氏が田村氏のもとで雇われ支配人をしていた店。その後譲り受けて自分で経営していた。中原弓彦は言わずと知れた小林信彦氏のペンネームである。
150号の巻頭には小島政二郎・瀧井孝作両氏による「カフェ・パウリスタ時代 銀座に新聞社のあつた頃」という対談があり、面白そう。カラーグラビアでは、秋山庄太郎氏や林忠彦氏(坂口安吾の書斎やバア・ルパンでの太宰治で有名)の銀座写真が。この時代ならではのカラー写真となっている。
ある日、銀座の裏道を歩いていて、解体直前の古いビルのゴミ捨て場に紐で括られた揃いの『銀座百点』が捨てられているところに出くわしたら……、などと思う気持ちを抑えきれない。
毎日メルマガを楽しみにしている杉並北尾堂の北尾トロさんが、ブログを始めたことを今日知った。トロさんがブログをどう楽しむのかが楽しみ。