ペニンシュラではなくプラザへ。


 昨日は外でのイベントの日。場所は最近なぜが多い日比谷周辺。まずはイベント会場に向かう団体の道案内の仕事を行う。雨のため団体の移動は地下道を通ることになり、その途中に立って団体が行くべき出口に向かうように声をかける。僕の担当場所はペニンシュラホテルへ向かう出口の前。ここは通路が細くなっていて、通路に立っていると邪魔になるため、出口の方に引っ込んで目の前を通る関係者に声をかけるのだが、もちろんその通路を通るのは関係者だけではなく、一般の地下鉄利用客もたくさん通って行く、その中で関係者を瞬時に識別して他の通行者に勘違いされないように指示を送るのは至難の技だ。しかも、その狭い通路の幅半分を塞ぐように、ホテルの客と思われる西洋人3人が20分近く僕の目の前で立ち話をしているため、通行人は通りにくく、僕は彼らという壁の向こうから歩いてくる関係者を見つけにくいという悪条件を強いられる。この人たちは自分たちが公共の通路を塞いでいるということをなんとも思わないのだろうかと少し呆れる。


 無事団体を所定の会場に入れ終えて一つの仕事が無事済み、後は数時間その会場の指定された椅子に腰掛けて目の前で行われるイベントを観ているうちに今日の仕事が全て終了。会場を出ると強風を伴った雨はほぼ上がっていた。



 その後、イベントの打ち上げをスタッフ一同で行う。仕事帰りのサラリーマンで混む前の時間帯なので店も空いている。早く始まった打ち上げは早く終わり、時間はまだ7時を過ぎたばかりだ。幸い雨は上がり、銀座もすぐそこだ。同僚たちと別れて銀座まで歩き、いつもの教文館へ。

亡き人へのレクイエム



 以前から気になっていた本がここのみすず書房棚の前に平積みされていたので思わず手が出た。いつもは緑系のカバーを巻いてもらうのだが、今日の気分はオレンジ系だった。雨が上がった夕暮れの銀座の空のような色。


 続いて山野楽器へ。ジャズのアナログレコードを1枚。

  • Mailes Davis Sextet「Jazz At The Plaza」

Jazz at the Plaza




 キャノンボール・アダレイビル・エバンス入りのマイルス・グループのライブ盤。



 帰りの車内では「亡き人へのレクイエム」を読む。巻頭の種村季弘に関する文章を読んでその丁寧で洒脱な感じに魅了される。各文章が独立しているため、無理に続けて読む必要はなく、気になる人のレクイエムだけつまみ読みすることができる。そこで、須賀敦子・川村二郎・木田元米原万里などをセレクトして読む。こういう読み方もまた楽しい。1編が短過ぎず長過ぎないちょうど良い分量。



 自宅近くのコンビニまで帰ってきて買い物をしていると突然カバンが“ガッ”という音とともに床に落ちた。肩掛け紐の金具の部分が崩壊したのである。この部分だけの修復も頼めそうな気もするが、何年も使い込んだもので、内容量もあまり入らないのが気になっていたからこの機会に買い換えようと決意する。

PORTERにカバンを任せる。

 今日、仕事を終えて職場を出ると西の空が真っ赤に染まっていた。ちょっと生々しいくらいの赤。昨日、教文館でつけてもらったブックカバーよりももっと濃く仰々しい感じ。


 駅ビルにあるカバン屋へ。昨日コンビニで肩掛け紐の金具が破損したカバンの代わりを探しに来た。カバン自体は肩紐がなくとも手持ち紐があるため手で持って使用はできるが、どうもこれが苦手である。片手でカバンを持っていると体のバランスも崩れるし、スーツ姿の成人男性の格好として不恰好としか思えないのだ(あくまで、個人の感想です)。ついでに言えば、肩紐がある状態でも片側の肩にだけかけるのも手持ちと同じ理由で苦手。リュックサック型(デイバック型)のバッグ+スーツ姿はもう言語道断(バランスの問題ではなく、バッグのあり方と服装のあり方の不協和音に耐えられない。もちろんあくまで個人の感想です)としか言いようがない。となると、残されたのは肩紐で袈裟がけにするという方法。僕にとってはこれがベスト。カバンの座りとしても一番落ち着く。
 この店に来たのはここがPORTER(吉田カバン)を扱っている店だから。昨日まで使っていたのもPORTERのカバンだった。このメーカーのカバンはシンプルな形で飽きのこないものが多く、しかも丈夫である。仕事でもプライベートでも違和感なく使えるのもいい。そのため一個買うと毎日使い倒すという言葉がちょうどいいくらいにハードユーズしてしまうのだが、カバンの縫製部分や生地の部分が破れたり、壊れたりしたことは一度もない。基本壊れるのはチャックや留め金といった金属部分である。今回もその金属部分が見事にバキッといったというわけだ。前にも書いたが金具部分を修理すればまだ充分使うことは可能である。皮を模した生地でできており、型崩れも少なく、薄手のフォルムで見た目もスマートであり、雨に濡れることも厭わないタイプで悪くないカバンだった。なら何故買い換えようとするのかというとそれは薄くて中にあまりものが多く入らないという唯一の欠点が最大の理由である。仕事の道具は職場と同じ仕事ができる程度に自宅にも揃っており、基本カバンに仕事の道具や資料を入れて毎日持って帰ってくる必要はない。それだけなら中身のたくさん入るカバンはいらない。しかし、僕の場合本屋に寄るのである。そして本屋に寄ればかなりの確率で本を買うのである。それも仕事の本(雑誌)と趣味の本(雑誌)の両方を買うのである。出張帰りや休日に神保町にでも行こうものなら、何冊も本を買うのである。ご存知の通り、本は重い。買った本はカバンに入れる。カバンは日夜その本の重みに耐えなければならない。それに耐え切れなくなった時、金具は折れ、そして音を立てて飛び散るのだ。考えてみれば、同じ頃に同じPORTERの色違い(僕は黒しか買わない)を偶然買った同僚のバッグは今も問題なく使われ続けている。つまり、僕のカバンは同僚たちに比べて重いのである。その重さに布地は耐えられても金具は耐えられないのである。そうであるならば、肩紐に金具のないものを選べば良い。そこで何代か前のカバンと同じ型のものを選ぶ。TANKERというスタンダードな肩紐が本体に縫い付けられているタイプの黒。チャック以外の金具がないのが頼もしいし、底のチャックを開けてマチを全開にするとその大きさに見合わぬ容量の豊かさを与えてくれるのが嬉しい。単純明快に本がたくさん入るのだ。新しいバッグを手に入れてまた明日からの本屋通いも楽しいものとなることだろう。


 明日からのと言っておきながら今日も本屋に寄る。

 集英社文庫の新刊が出ていた。

謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア (集英社文庫)



 傑作ノンフィクションの評判が以前から高いこの作品の単行本(本の雑誌社)を昔買ったはずなのだが、何故か家の中に見当たらない。あんなに分厚い本が何故見当たらないのか不思議である。そんな時にタイムリーにこの文庫(こちらも当然厚い)が出たのだから迷わず買っておく。今日買ったカバンなら分厚い文庫本1冊くらい入ってたってなんてことはないだろう。



 帰宅して、PCをのぞいていると知人が熊倉献「春と盆暗」(講談社)という漫画を褒めていたので、気になって電子書籍で購入してiPadで読んでみた。ちょっと独特なテンポと世界観を持つ女性をちょっとボンヤリした感じの男性が好きになる短編が4つ並んでいる。どれもほんわかしていて、どれも発展途上でふわっと終わるその感じがいい。思わず引き込まれてすぐに読んでしまった。おじさんがハマるこの漫画を今の高校生に読ませてみたい。



春と盆暗 (アフタヌーンコミックス)