「別れる理由」が気になって

朝の徒歩通勤3日目。今朝は、クレイジーケンバンドを聴きながら出勤する。
帰り道の本屋で1冊。

夕食を食べに入った大戸屋で、料理がでてくる間に目黒孝二「笹塚日記」と「坪内祐三の読書日記」に目を通す。
「読書日記」に安藤鶴夫の「ごぶ・ゆるね」(旺文社文庫)を読み返したくなったという記述が出てきたので、昨年天誠書林で買った同書を積ん読にしているままであることを思い出す。
坪内さんと言えば、最新刊「『別れる理由』が気になって」(講談社)も積ん読状態が続いている。坪内本を買ってすぐに読まないというのは、僕にとっては珍しいことなのだが、これもひとえに小島信夫「別れる理由」の存在にその理由がある。1冊まるごと「別れる理由」の作品評論である坪内さんの本を読むにあたって、その評論対象の本を読むべきかどうかで迷っているうちに現在に至ってしまったのだ。実は、最近になって読んでから読むことに気持ちは傾いていたのだが、坪内効果からか“日本の古本屋”やアマゾンのマーケットプライスからも「別れる理由」(全3冊)は姿を消してしまった(唯一第1巻のみ購入可能)。昨日、売り切れ通知がきた月の輪書林の目録にもあったので注文したのだが、これも既に人手に渡っていたという訳だ。
さて、困った。こうなったら読まずに読むしかないだろうな。たとえ「別れる理由」を手に入れたとしても、あれだけ長い小説を読むのにも時間がかかるだろうし、そうしたらやはり坪内本を読むのは随分後になってしまうことになるのだから。
しかし、これだけ入手困難なら、そのうち講談社文芸文庫で文庫化されるのではないかという気もするのだが。
まずは、手始めに「抱擁家族」から読み始めてみるのも一興かもしれない。
などと「別れる理由」が気になってこころは千々に乱れるのである。
「別れる理由」が気になって