雑巾かと思ったら僕だった。

 今日明日と雑司ヶ谷では外市が行われているが、両日とも野外仕事のため行くことができない。仕事に追われて本の出品もかなわず。残念。



 というわけで今日は一日野外で雨に打たれる。苦行僧かと己に突っ込みを入れたくなるくらいに雨よけのポンチョの中までぐっしょりと濡れた。



 傘もろくにさせない状態で書類の束を持ち、濡れた紙面にボールペンでチェックを入れる仕事をする。もちろん、インクはのらず、色はうすぼんやりとしか出ず、ただペン先で紙を引っ掻いているようなものだ。書類をめくろうとするも張り付いて離れようとしない。こちらの作業を傘もささず濡れて待つ瞳の数は20、30いやそれ以上か。それを1人でやっているのに別の仕事ができていないと叱責を受ける。物理的に無理なことをやれと言われてもできないよ。仕事の成果もふるわなかったこともあり、なんだか水をぐっしょりと含んだ雑巾を踏んだような気分で野外仕事を終える。気がつけば自分自身が雑巾のようにぐっしょりと水を含んでいた。


 水を含んだ気持ちと体で本屋へ。


落語を聴かなくても人生は生きられる (ちくま文庫 ま 44-1)

落語を聴かなくても人生は生きられる (ちくま文庫 ま 44-1)

ジェイン・オースティンの言葉 (ちくま文庫)

ジェイン・オースティンの言葉 (ちくま文庫)



 ちくま文庫の新刊から2冊。


 前者は落語に関する文章のアンソロジー小林信彦都筑道夫池内紀景山民夫小谷野敦森卓也久保田万太郎他の文章が収録されている。先日読んだ「21世紀の落語入門」で編者の著作に難色を示していた小谷野氏の文章が収録されているのが面白い。(これは僕の勘違い。小谷野氏は編者の松本尚久氏の著作に難色を示してはいない。)


 後者はオースティンの作品から名言を引用してそれについてのコメントを中野氏が書くという構成の本。ジェイン・オースティンの読書案内という役割を持つ本でもある。気が向いた時に適当なページを開いてちょこっと読み、また閉じて置いておくというような読み方が似合う。積ん読が気にならない本と言ってもいいかもしれない。



 本を買って本屋を出るとさっきの水を含んだ気持ちは軽くなっていた。本が水を吸ってくれたようなものだな。本は買うことで気持ちの水を吸い取ってくれる。今度は読むことでその水気を含んだ本を虫干してやろう。



 帰宅して食事を取ってから雨で冷えた体を風呂で温める。風呂場で古今亭志ん朝「今戸の狐」を聴きながら。この志ん朝師匠の噺は小谷野本でも賞賛されたいたもの。僕も好きですね。



落語名人会(17)

落語名人会(17)


 風呂上がりにテレビをつけると「アド街ック天国」で横浜六角橋商店街を取り上げていたので観てしまう。二十代後半を過ごした街の今を観る。もうあれから20年近く経ってしまったのだなあと思う。あの頃も好きな街であったけど、今もいい街だな。また、住んでみたい。




 明日の仕事に備えて天気予報をチェック。曇りから雨の予報が晴に変わっていた。これで野外仕事がやりやすくなる。



 また、晴れれば外市も賑わうだろう。心の湿気を吸わせるのはやはり本が一番。ああ、行きたいねぇ。