乱歩と散歩。

帰宅すると、ポストに包みが二つ届いていた。
一つは、東芝EMI“BLUE NOTE CLUB”の会誌とジャズのサンプラーCD。
もう一つは、オンライン書店から届いた本。
まず、サンプラーを聴く。寺島靖国氏オススメのピアニスト、ビル・チャーラップがよさそう。もう少し聴きたいというところでフェードアウトするところが、さすがサンプラー
届いた本はこれ。

東京ノイズ (てんぴょう叢書)

東京ノイズ (てんぴょう叢書)

著者の大倉宏氏は元新潟市美術館学芸員で、現在は美術評論家。「洲之内徹の風景」(春秋社)の編集と構成を担当した人だ。“洲之内徹”をネットで検索していたらこの本に出会った。中に「イノセンスへの郷愁」という洲之内徹論が入っている。これは、『春秋』の1996年2・3・5・6月号に掲載されたものだと初出一覧にある。
早速、読んでみる。大倉氏は、洲之内徹という存在の中にある孤独を見る。そして、左翼思想(マルクス思想)から投獄中に読んだドストエフスキーなどを介して自由になった洲之内氏が、今度は文学という価値観にとらわれ、その結果「気まぐれ美術館」の《軽やかな文体》にたどり着くまで30年を要することになったと指摘する。文学・小説を信じる自分とそれに決して同化できない孤独な自分を抱える洲之内氏の《孤独からの不断の逃避衝動》が「気まぐれ美術館」執筆の意欲を長く持続させたのではないかと大倉氏は考えている。
読後、ますます「洲之内徹の風景」や1988年に松山の友人たちがまとめた小冊子「洲之内徹君の思い出」(白の会刊)を読んでみたくなる。もちろん、その前に読み残している洲之内さんの文章をすべて読むことが先決なのだが。

コンビニで買ってきた『週刊文春』に目を通す。
書評のページ(文春図書館)で紀田順一郎さんが「気まぐれ古書店紀行」について《端倪すべからざる読書人の記録》と書いている。また、無署名の紹介コーナーで「早稲田古本屋日録」も紹介されていた。
小林信彦コラムのページに『東京人』4月号の広告が。特集が“神楽坂より深く、より奥へ”として、嵐山光三郎氏と平野甲賀氏の対談、その他、近藤富枝鹿島茂立川志らく四方田犬彦といった執筆陣の名前が並んでいる。そして、小特集が“池袋モンパルナスを歩く”とくれば明日にでも本屋でゲットしなくてはと思う。

ブログ散歩で、久世光彦氏の訃報に接する。ショック。
『青春と読書』に「乱歩は散歩」として連載していたものが単行本「1934年冬−乱歩」となり、それを読んだ時に演出家として既知だった久世さんがまったく未知の驚くべき才能の持ち主であったことに本当に驚いたことを思い出す。その後、決してよい読者ではなかったが、いつかはまとめて読んでみようと思わせる魅力ある書き手であった。残念。
天国で乱歩と散歩してください。

今日のピアノトリオ。

At The Montreux Jazz Festival

At The Montreux Jazz Festival

ともにライブ盤。前者は、曲の終わりにぱらぱらとかすかに聞こえる拍手の音がなければスタジオ録音かと思うくらい、ライブの臨場感を感じさせない。ライナーノーツによるとバリー・ハリスキャノンボール・アダレイに見出され、グループ入りしたものの、その真面目な性格からアダレイの陽気なノリについていけず、すぐに退団したらしい。その真面目さゆえか、ライブの崩れたところや浮ついたところが感じられない。ライブ盤らしくないライブ盤だ。
後者は、お馴染みビル・エバンスモントルージャズフェスティバルでのライブ。こちらは、フェスティバルということもあって、観客の拍手の量が違う。内容はエバンス・スタンダードとでもいう曲目がズラッと並ぶ。寺島本ではエバンスの演奏は機械的だと辛口評価。前者の評価はと探してみるが、本には載っていなかった。あれ、見たような気がしたのだが。