7月下旬から8月の初めにかけて10日間ほど海外出張に出かけた。
北半球にある英国領であった小さな都市は夏とはいいながらもかなり涼しかった。何枚か持っていった半袖のシャツは一枚も着ることはなく、毎日長袖のシャツにサマージャケットで過ごした。中日を過ぎる頃から食欲がなくなった。ホテルの朝食(4種類のセットから好きなものを選ぶ)はどれも味は悪くないがボリューム満点であったため、朝食を抜くようになっていった。出張の前にひいた風邪がぶり返したのか、微熱を感じるようにもなっていた。持参したパブロンゴールドを朝食抜きで服用し、現地の仕事場のロビーで関係者を迎えていたら、ふっと視界が白くなった。誰かが肩を叩きながら名前を呼んでいるのに気付いて目を開けるとロビーの床に倒れていた。その後、ホテルに戻って2時間ほど寝たら何事もなく回復したので食後用の薬を空腹で服用した副作用だと判断した。体調は問題ないのだが、微熱と咳が続くようになった。帰りの飛行機の中でも咳が続くので、周りの乗客に申し訳なかった。ただ、映画の「アベンジャーズ エンドゲーム」と「キングダム」、そしてTVドラマの「カルテット」(3話と4話)が見られたので咳以外は充実した旅であった。
翌日、出勤すると出張時の報告を受けた上司から病院に行くように指示を受けたので、退勤してそのまま最寄りの病院へ行くと、レントゲンを撮られ、「なんでもっと早く来なかったんですか。あなた肺炎ですよ」と言われた。人生初の肺炎だった。仕事を休んで、処方された薬を飲んで大人しくしていろという医者の指示であったが、そうも言っていられないので出勤した。肺炎であると報告を受けた上司から休めと言われた。休みたいのだが、自分が分担している仕事があり、それを投げ出すと、限られたスタッフの誰かが二人分の仕事をしなければいけなくなる。締め切りまではそれほど期間がなかった。肺炎といっても熱もそれほどではなく、ただ咳が出るだけなので、職場でパソコンに向かっていたのだが、3日間やって一つもまともなものを仕上げることができない状況に直面し、さすがに自分に見切りをつけた。このまま直前まで抱えて「できませんでした」と投げ出したら、スタッフにとてつもなく迷惑をかける。今ならまだ、対応する時間的余裕が少しはある。投げ出すなら一刻も早い方がいいと考えるしかなかった。白旗を上げ、頭を下げて自宅に帰った。
自宅でただぼんやりしていた。何のやる気も湧いてこない。まったく手つかずの状態で仕事を丸投げしたうしろめたさやもっと早くから手をつけていればこれほどの迷惑を掛けずに済んだはずなのだが、幾つになっても締め切りギリギリにならないと集中して仕事に取り組めない己の悪癖にも辟易した。じゃあ、それで反省して前向きに何かを始めるかといえば、そんなことはなく、やはりやる気は出なかった。読もうと思って買ってある山のような積読本にも手は動かず、結局タブレットで漫画を読んだり、NetflixやHuluでドラマやアニメをぼんやりと眺めているばかり。気がついたら、昨年の夏に続いて漫画の「キングダム」全巻を読み返し、アニメの「キングダム」のシーズン1と2を見返していた。
その間にも、何度か医者に行き、レントゲンと血液検査をした。レントゲンの肺の白い影にあまり変化がなかったが、血液検査の方の数値は良くなってきているので、大丈夫でしょうと医者は言った。そしてその病院は1週間のお盆休みに入った。
お盆休みの間に体調は回復していった。熱は出なくなった。食欲も普通にある。睡眠もしっかりとれるようになった。咳だけは相変わらず、出つづけてはいたが、「肺炎の咳はしつこいので完治してからも人によっては1ヶ月も残ることがある」と言われていたので気にはならなかった。
そのため週明け19日・20日の1泊2日の出張に出かけた。ホテルのホールで40人ほどを相手に喋る仕事だった。2日間で8回。のべ8時間ほどのお喋りをした。やはり、話しているうちに呼吸が少し苦しくなり、声が小さくなってしまう。それでも体調は悪くなかった。出張明けの21日の仕事帰りにいつもの病院に行った。もう治っているだろうと思いながらレントゲンを撮った。医者は「肺の炎症部分がほとんど変わっていない。もう2週間以上経つのにこれはちょっと心配だ。ただの肺炎ではない可能性が高い。紹介状を書くので大きな病院で検査を受けた方が良い」という。治った気でいたこちらには青天の霹靂としか言いようがない。
仕方がないので、今朝紹介状を持って一駅先にある近場で一番大きな病院に行った。受付開始時間のかなり前に行ったので受付番号は3番だった。しかし、CTを撮ったり、血液検査をしたりして結局終わったのは昼過ぎであった。待ち時間がたっぷりあったので、持参したこの本を読み終えることができた。
-小林信彦「大統領の密使/大統領の晩餐」(フリースタイル)
フリースタイルが出している“小林信彦コレクション”の1冊。すでに「極東セレナーデ」と「唐獅子株式会社」の2冊が出ているのでこれが3冊目。この夏に書店に並んだのだが、実際に出版予定は1年以上前であった。当てもなくただ待っていることには慣れているのでいつかは出るだろうと気長に待っていたのだが、やっと手に入った。雑誌連載時の小林泰彦画伯の挿画も入っているのが嬉しい。両方の作品ともすでに3回以上は読んでいるのだが、それでも前に読んだのは10年以上前だから新鮮な気持ちで読める。そして読みながら「ああ、そうそう」、「このフレーズ懐かしい」、「このエピソードはこの作品ででてきたのか」など様々なことが思い出されて濃密な時間を過ごせる。中学生になってすぐ、近所の本屋の店主に勧められて、角川文庫の「オヨヨ島の冒険」「怪人オヨヨ大統領」「オヨヨ城の秘密」のジュブナイル3部作を読んで夢中になり、そのまま大人向けの「オヨヨ大統領の密使」に突入した。中学生にあの豊穣なパロディ世界を楽しめる知識はなく、前の3冊とは随分違うなという違和感を抱きながらも、でもここには何かすごいものが書かれているのではないかと言う漠然とした思いがあり、そのまま「大統領の晩餐」「合言葉はオヨヨ」「秘密指令オヨヨ」と読み進んで行った。このシリーズのスピンオフとも言える「オヨヨ大統領の悪夢」を繰り返し読んだ時にはもう大学生になっていた。
今から考えると、小学6年生の時に読んだ新潮文庫の夏目漱石「こころ」と中学1年生で読み始めた角川文庫のオヨヨ大統領シリーズが自分の文学周辺への興味関心のコアのようなものを作った「本」なのだと分かる。僕にとって「本」と言えば、これらの文庫本がまずその筆頭として頭に浮かんでくる。そしてこの歳になった現在でもそのコアの部分はほとんど変わっていないことも実感する。
検査の結果は概ね良好であり、担当医の診断は「間質性肺炎の可能性も考えたが、血液検査の数値を見るとその可能性は低いと思われる。ただ、100パーセントないとは言い切れないので状態が急変するようなことがあったらすぐ来院するように」と言うことであった。とりあえず、ほっとする。9月初頭にもう一度経過確認のため診察を受ける予約を入れて病院を後にする。
昼過ぎに出勤し、状況を報告。いくつか片付けなければいけない仕事を済ませて、4時過ぎに退勤。本屋へ。
-大岡昇平「成城だより 付・作家の日記」(中公文庫)
-堀井憲一郎「教養として学んでおきたい落語」(マイナビ新書)
「成城だより」は中公文庫の新刊。すでに講談社文芸文庫版で持っているのだが、大好きな日記なのでこちらでも揃えたい。「成城だよりⅡ」は9月刊行予定。70代になった大岡昇平が好奇心旺盛にアレコレに関わっていくその姿に魅了される。それよりも20歳近く若い今の自分が何もする気になれないなんて言っていることがこれを読み直せばちゃんちゃらおかしいと思えるはずだ。
「久米正雄作品集」は芥川龍之介や菊池寛の影に隠れてあまり注目されない新思潮派の久米正雄の小説・随筆・俳句を収録している。正直、久米正雄の作品をちゃんと読んだことがない。この機会に読んでみたいと購入。
堀井憲一郎の落語本は迷うことなく買うことに決めている。軽い入門書という体裁のため通常の新書より薄くページ数も少ないのが残念。「あとがき」の最後に「落語があるかぎりは日本は大丈夫だ、と私はおもっている」という著者の思いに自分も賛同したいと思う。