フリー・ムーン。

 仕事が立て込んでいる。仕上げなければいけない書類が溜まっている。そのため日曜日にも職場に行きPCの前に向かわなければならい。


 昨夜買っておいた食パンを持って午前中から職場へ行く。職場のあるところに隠してあるトースター(自前)でパンを焼き、チコリ入りコーヒーを淹れて少し遅めの朝食。その後PCに向かってひたすら書類作成。人影まばらな一部の休日出勤者のみの職場でイヤフォンで音楽を聴きながら作業する。トーストやイヤフォンなんてこの休日にしかできない。その背徳感が仕事のエネルギー補給になる。


 聴いているのは、二階堂和美with Gentle Forest Jazz Bandの「GOTTA-NI」。今夜、二階堂和美ライブに行くのでその予習。たまたま彼女のツイッターを見ていたら職場に近い川崎の高願寺というお寺でライブがあり、希望のメールを送れば無料で参加チケット(ハガキ)が返送されると知ってメールしてみたら当たったというわけ。



GOTTA-NI [CD+DVD]



 二階堂和美のライブは2年前の2016年の1月に東京入谷の東京キネマ倶楽部で一度聴いたことがある。元キャバレーという会場でビッグバンドのGentle Forest Jazz Bandをバックに歌う彼女は美空ひばりの様でもあり、笠置シヅ子の様でもあった。昭和の大キャバレーの舞台ということもあるのだろうが、若き日の彼女たちのステージを見たらこんな感じではないかと思わせるものがあった。



 4時半まで仕事をし、武蔵小杉へ。久しぶりに降り立ったこの街にはいつの間にか1年前には無かったツインタワーのマンションが立っており、その1階には三笠会館のレストランが入っているなど“ここはセレブの街ですよ”感を必死に漂わせている様な感じに見える。30年前からこの街を知っている人間からみると今の姿の方が非現実に思えてしまう。もう一棟の1階に猿田彦コーヒーがあったので入ってみる。名前は聞いたことがあるが入るのは初めて。ライブ開演までの時間調整でブレンドを1杯飲んで店を出る。歩いて高願寺へ。入口でハガキを見せたら中に入れた。


 境内にある至心學舎という建物が今日の会場。木造建築でそれほど大きな建物ではない。その中の畳の部屋に座布団と椅子を並べて120名くらいが入れるスペースになっている。人々にお寺に足を向けてほしいという考えから、この建物で色々なイベントをやっているらしい。そして今日の“十三夜音楽会”もその一つ。浄土真宗の僧侶の娘として生まれ、現在は広島の生家である寺の僧侶でもある二階堂和美が、同じ浄土真宗の高願寺の依頼を受けて今日のライブが実現した。観客は招待されたと思われる檀家の人たち(高齢者多し)半分と二階堂和美ファン半分と言った感じ。彼女の歌を聴くのが初めてという人が半分近いという会場でのライブということになる。


 18時開演。このスペースではビッグバンドは入れない。代わりにその中から選ばれたGentle Forest Sextetの6名がバックを勤める。狭い空間なので、彼らの奏でる楽器の音が良く響き渡る。そこへ金色の袈裟とも見紛う衣装で二階堂和美登場。「GOTTA-NI」から「Nica's Band」で始まる。自分を知らない人が多いということで、自己紹介がわりにCM曲(サッポロ一番など)を歌ったりとサービスしているなあという感じ。アップテンポの曲をメインに狭い舞台で所狭しと歌い、動く40分程の前半が終わり、15分の休憩を挟み、今度は月光をイメージした青白いドレスで登場。前半と変わりじっくり聴かせる曲が多い。広島の原爆投下をテーマとした「伝える花」や「かぐや姫の物語」の主題歌「いのちの記憶」を感情豊かに歌い上げる。


 偶然にもアン・サリー二階堂和美という他に代え難い二人の歌手のライブを2週にわたって聴くことになった。アン・サリーの歌を聴いていると、どんな曲でもすべて彼女の「声」に収斂されて行く感じがする。そのため曲が変わっても揺るぐことない彼女の「声」がこちらを包み、その普遍の「声」を味わう喜びを感じるのに対し、二階堂和美の歌は曲ごとにその表情を変え、声すらも多種多様な表情を見せる。そのため彼女の声よりも彼女の「歌」に意識が向かう。その振幅の広さに心奪われる。それは1曲の中での振幅であり、ライブを通しての振幅でもある。そういう意味で僕にとってはアン・サリーは「声」であり、二階堂和美は「歌」なのだ。


 アンコールを含めて最後の「what a wonderful world」まで2時間のライブを堪能する。バックのGentle Forest Sextetの演奏も見事だった。これが無料だとは申し訳ないとしか言いようがない。


 高願寺を出て、バス停で武蔵小杉駅行きのバスを待つ。空には十三夜。月も無料で照らしてくれていた。


東京のアン嬢さん。

 やっと秋めいてきたようで、朝の気温も低くなってきた。職場で朝飲むコーヒーも水出しのペットボトルのものから、ペーパーフィルターで淹れるチコリ入りコーヒーに変わった。この夏、ニューオリンズに行った知人が土産にくれたもの。現地のカフェの名物で有名なものらしい。チコリとは植物の根を原料とするものとのこと。飲んでみるとクセもなく飲みやすい。朝の定番になりそう。


 ニューオリンズと言えば、アン・サリー「ブラン・ニューオリンズ」。彼女がニューオリンズに留学中に現地のミュージシャンと共演したアルバム。全アルバムの中でも好きな一枚だ。今日の夜は久しぶりに彼女のライブに行くことになっている。


 それを楽しみに今日の仕事をこなす。午前、午後と職場でイベントがあり、受付を担当する。元気に挨拶、笑顔で接客。こんなおっさんの笑顔が何かのプラスポイントになっているとは思えないのだが。



 午後5時には仕事が終わる。日比谷線六本木駅へ向かう。車中はこれを読む。

  • 北村薫「中野のお父さん」(文春文庫)


中野のお父さん (文春文庫)


 出版社に勤める二十代後半の女性が、困ったことがあると中野の実家にいる高校の国語教師である父親に相談することで問題を解決して行くという連作短編集。作者お得意の日常の謎ミステリー。高校の国語教師であった作者にとってこのお父さんは感情移入できるキャラクターなのではないかと思う。



 六本木駅で下車し、地下から東京ミッドタウンに入る。昔知人との待ち合わせにきたことがあるが、それ以来なので勝手が分からない。それにしてもハレしかない場所だな。ここを職場としている人たちは疲れないのかなとケの世界から来た人間はそう思う。



 18時半の開場よりも結構早く着いたので、TSUTAYA書店で本を物色。小さなスペースしかない店なので、それほど時間は潰れない。講談社文芸文庫の新刊、「昭和期デカダン短編集」を探したが、文芸文庫は置いてないようだ。



昭和期デカダン短篇集 (講談社文芸文庫)


 エレベーターで4階へ。東京ビルボードライブの入口がここにある。カウンターで予約の確認をして、中に入る。ここに来るのは初めて。ステージを見下ろす、duoシートというボックス席が今日の居場所。19時半の開演前に待ち合わせ相手の岡崎武志さんが登場。岡崎さんと聴くアン・サリーライブは、渋谷、恵比寿、柿の木坂、横浜赤レンガと来てこれが確か5度目となる。息を引き取る時は、アン・サリー嬢の歌声を聴きながらを合言葉とする同志である。


 今日のライブは、昨年出たアルバム「Bon temps」の曲を中心としたもの。1曲目がアルバムの1曲目である「雲のむこう」であることがそれを物語っている。その歌い出しの一声を聴いただけで、「ああ、アン・サリーがそこにいる」と実感する。彼女の声はまさに唯一無二、そう思わせるものがある。その歌の存在感とMCのたゆんとしたほのぼの感のギャップもまたいい。2曲目「あたらしい朝」を挟んで、「Bon temps」の曲が続いて行く。「All Together」「形なき姿」「トラジ」「Why Me So?」。バンドメンバーのパフォーマンスを盛り込んだ「Walking one & only」でブレイクを入れて、「満月の夕」「銀河鉄道999」と「Bon temps」に帰る。「銀河鉄道999」で舞台後ろのカーテンが開き、六本木の夜景が広がる。自分も見たいのか、歌の途中でアン嬢が後ろを振り向くのがご愛嬌。
 この後のラスト2曲「胸の振子」「蘇州夜曲」が素晴らしい。昼夜の2セット制ということもあるのだろう、あっという間の1時間半で終演を迎える。「Bon temps」のメイン曲だと勝手に思っている小沢健二「僕らが旅に出る理由」が出てこないので、アンコール曲になっているのではという予想は当たった。再びカーテンが開いて夜景をバックに「東京タワーから続いてく道」と歌は流れる。やはり、この曲が「Bon temps」の基幹曲であるという自分の思いが間違ってなかったことを確信する。そして最後は「こころ」。秋という季節と宴の終わりの両方を兼ね備えた歌詞の曲を持ってきたのだなあと納得する。この4曲の繋がりと歌の素晴らしさに陶然とする。ライブで何度か聴いている曲がほとんどなのだが、それでも感銘は変わらない。ああ、これが生で歌を聴くということなのだと思わせてくれる時間だった。


 また、機会を見つけて彼女の歌を聴きに行くだろう。






 ライブ終了後、六本木の星乃珈琲店で1時間ほど岡崎さんと話す。ほとんど僕が職場の愚痴を聞かせるようなことに。岡崎さんに聞きたいことはいくらでもあるはずなのに何を話していたのかと帰りの電車で反省する。

私の知ってる、港横浜。


 昨日は休日出張の屋内仕事。相鉄線沿線の駅近くの会場で朝から夕方まで過ごす。仕事自体は昼過ぎには終わっているのだが、会場の撤収作業が義務付けられているため、夕方までその場で待っていなければならない。会場内は飲食禁止で、座席も移動収納式のため、クッションなどのない板一枚のようなもの。長時間座っていると尻が痛くなってしまう。大きめのタオルを幾重かに折り、それを座布団がわりにしてなんとか過ごす。午後は、朝日文庫から再刊された小林信彦「名人 志ん生、そして志ん朝」を読む。親本の朝日選書版、最初の文庫の文春文庫版に続いて3度目の読書になる。志ん朝の死を受けて小林氏があちこちに書いた文章と、志ん生について書いた文章をまとめた本なので、重複も多いのだが、小林信彦本によって落語を学び、志ん朝師匠を知り、そのCDを繰り返し聴くことで落語の魅力にハマっていった者としては、己の出自をたどるようなものだから何度読んでも構わない。
 外は季節外れの夏日なのに会場内はそのための冷房によって寒いくらいで、昼食を食べに外に出て、駅前にある時代のついた中華料理屋(“町中華”というやつですね)で酢豚ランチセット(酢豚とミニラーメン)を食べたのが唯一の息抜き。店のおばちゃんが「新米ですよ」と言って出してくれたライスも店もいい味だった。


名人 志ん生、そして志ん朝 (朝日文庫)




 今日は休み。一日グダグダ過ごすことに決めていた。8時過ぎまで寝床でグダグダし、朝風呂で東京FM「山下達郎のサンデーソングブック」をラジオクラウドでぼんやりと聴く。それから遅めの朝食をだらだらと食べる。最近気に入っている“サンジェルマン”の低温熟成の食パンをトーストし、スライスチーズとハムを敷き、その上にポテトサラダやごぼうサラダをのせて食べる。休日の朝だけに許している炭水化物ドカンの朝食。これが背徳感もプラスされたうまさを感じさせてくれるので好きなのだ。


 午前中のあまりのグダグダ、だらだらにちょっと飽きてしまったので、先日行けなかった伊勢佐木町馬車道周辺に行くことにする。昨日より気温が7度近く下がると聞いていたので、先日無印良品で買ったスタンドカラーの長袖ネルシャツを着てみる。襟のないスタンドカラーなので、鏡の前に立つと思わず「伊丹十三が着そうなシャツだな」と呟いてしまう。この感覚を共有できる人は今や何歳以上なのだろう。




 車中の読書用にはこれをカバンに入れた。

文學界 2018年11月号




 特集は“白洲正子須賀敦子”なのだが、今日のお目当ては木村紅美「わたしの拾った男」。58ページほどの長めの短編、もしくは中編。一人暮らしの48歳のOLの家にある日記憶喪失を自称する若い男が転がり込んでくる。その男に昔飼っていた犬の名前“クロ”を付け、自宅に置いておくことにする主人公の女性の一人称で語られる形式のため、前作の「羽衣子」同様に読者は語り手の語る内容が事実そのままなのかどうかを判断できない。語り手自身が自分の記憶に自信がないことを口にすることによって読者はますます不安になる。「雪子さんの足音」「羽衣子」にあったあの“なんとも微妙に嫌な感じ”は今作にも引き継がれており、安易に主人公の女性に共感や同情をすることは難しい。そして、具体的な年月日は示されないが、東日本大震災における原発事故がまだ生々しい時期であることが所々に顔を出してくる。この女性を苛立たせる、職場の同僚や近所の人が迫ってくる善意の圧力もあの時期の雰囲気がその後ろにあるような印象を受けた。職場での疎外感、老後の不安、伯母の死、性犯罪の恐れなど作中に幾重にも折り重なって行く“微妙に嫌な感じ”は、まさに木村紅美ワールドと呼びたくなるくらい見事に感情をつかんでくる。これらの作品が醸し出してくる“違和感”のようなものの正体はなんだろうと読みながら思う。もちろん、明確に単語や一文で言えるようなものであれば、作家が小説作品を書く必要などない。末尾近くで突然語られる事実が、作品の鍵なのか、そうではないのか、もう一度読み直すことを求められているような気持ちで読み終える。


 馬車道で地下鉄を降り、馬車道からイセザキモールへと歩き、有隣堂本店、ドンキホーテを越えて、ガストの近く、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」の歌碑の手前に最近できた古本屋「雲雀洞」があった。店頭の均一台を覗くと、古い本が多いが、中公文庫の渋い肌色本が入っているなど店内に期待が持てる感じ。店内は文庫本が多い印象。単行本はゆるくジャンル分けされていると思えたのは、まだ開店して1週間しか経っていないからかもしれない。これから棚の色味も徐々に出てくるのではないかと思う。いる間にも開店を祝って訪れる人たちが来店していた。これから長く続いていってほしいものだ。以下の2冊を購入。

 イセザキモールを戻り、有隣堂本店へ。ここで地元で買えなかった新刊を1冊。

古本的思考: 講演敗者学



 単行本未収録の講演を集めた1冊。“山口昌男”や“晶文社”というタームにはやはり反応してしまう。講演の他にインタビュー「雑本から始まる長い旅」が収録されており、掲載誌は『古書月報』で、インタビュアーは内堀弘さんとのこと。まずこれから読みたくなる。



 このところジャズのアナログレコードを買えていないので、馬車道ディスクユニオンに寄る。

  • 「LULLABY OF BIRDLAND」(RCA
  • clifford brown new star on the horizon」(BLUE NOTE)
  • 「introducing the kenny drew trio」(BLUE NOTE)

Lullaby of Birdland バードランドの子守唄 [12
ASIN:B00Y1U7RAQ
イントロデューシング・ザ・ケニー・ドリュー・トリオ



 「LULLABY OF BIRDLAND」は、このスタンダードナンバーの演奏だけを集めたオムニバス。何かのシリーズの特典として作られたものらしく“非売品”となっている。

 残りの2枚は、ブルーノートレコードの初期を彩る“5000番台”。CDで持っているのだが、ジャケットも美品で盤面状態もA、そして値段も手頃とくれば欲しくなる。3枚買ってCD一枚ぶんの値段だからつい買ってしまう。



 野外仕事から屋内仕事に変わって、横浜駅周辺は仕事をする場所ではなく、通過駅や乗り換え駅になった。自分にとっての横浜はこの馬車道周辺だと思う。野外仕事をやっている昔から、休日に出かける横浜はここだった。イセザキモール周辺の古本屋(当時通っていた古本屋はほとんどもうその場所にはない)と有隣堂を巡り、ディスクユニオンでジャズのCDを買い、その下にあるスターバックスでカフェラテを飲みながら本を読んで時間を過ごした。そんなことをしていれば独りでいても寂しいとは思わなかった。今も全く同じ休日の過ごし方をして飽きないのだから我ながら呆れるしかない。今日は、スタバは満席。諦めて地下鉄馬車道駅へ向かう。中村雅俊の歌う「恋人も濡れる街角」のように雨に降られる心配はなさそうだ。

カルピスのいる味。

 今週は月・火・水と仕事が通常よりハードだった。同じセクションの同僚が緊急入院することになり、その分の仕事もこなさなければならなかったためだ。それに加えて、昨晩は夜に顧客との懇親会があり、日付けが変わる前に帰宅できてホッとした。


 今日は、職場の建物が年に一度の保守点検のため仕事は休み。この休みを心の支えにしてこの数日を過ごしてきたのだ。そのため昼近くまで寝ていたいところだが、マンションの防災設備点検日になっており、10時半には検査員が部屋を訪ねてくることになっているから、寝てもいられない。7時には起きて、風呂掃除も兼て朝風呂に入る。それから検査員が来るまで火災報知器のあるそれぞれの部屋の掃除と整理に汗を流す。なにせ各部屋のあちこちに本が置いてあるため、それをどかさないと火災報知器のある下まで辿り着けない場所がある。ついでに大掃除をしているとあっという間に時間が経ち、インターホンが鳴った。


 検査が無事終了したため、昼過ぎから出かける。横浜の伊勢佐木モールあたりに新しい古本屋ができたらしいので、馬車道方面に出て、関内のディスクユニオンでジャズのレコードを見たり、有隣堂本店で欲しい新刊を買ったりもしようと思って駅に行ったら、ちょうどいい直通電車がない。逆方向の列車が発車間際だったこともあり、あっさりと予定変更して神保町に向かう。


 カバンに入れていた本が、吉田篤弘「神様のいる街」(夏葉社)だったこともあり、結局この選択がちょうどよかった。「神様のいる街」は“神”のつく「神戸」と「神保町」という二つの街を回想する本なのだから。


神様のいる街[本/雑誌] / 吉田篤弘/著


 神保町に着いた時にはもう2時を過ぎていた。昼食がまだなので、東京堂三省堂で欲しかった本をサッと買ってからうどんの“丸香”へ行くことにする。


 まず東京堂書店で。


昼夜日記


 『本の雑誌』連載の「読書日記」と『小説現代』連載の「酒中日記」を抱き合わせで1冊にしたもの。上下2段組で、上が「読書日記」、下が「酒中日記」という構成。「酒中日記」の部分だけページに色をつけるという工夫が見られる。



 三省堂で。

  • 新井見枝香「本屋の新井」(講談社


本屋の新井 [ 新井 見枝香 ]


 三省堂本店勤務の新井さんの本だから、やはり三省堂本店で買いたいと東京堂ではスルーしてこちらで購入。



 本を買ったので丸香へ。さすがに2時半過ぎなので行列はなくすぐに入れる。前回来た時に耳に入ってきた謎の「カルピス」のつくメニューを食べてみたい。それが“釜玉カルピスバター”である。釜玉うどんにカルピス製のバターが入っているという品。秋らしい涼やかさがある日なので暖かい釜玉が嬉しい。卵とバターが絡まり、誰かが言っていたようにカルボナーラのような味わい。カルピスバターがコクと旨味を演出している感じ。美味しゅうございました。


 メロンパン屋の上にあるディスクユニオンに入る。ジャズレコードを漁るが欲しいものがなく手ぶらで店を出る。



 神田伯剌西爾でフレンドとかぼちゃタルト。近くのテーブルに就活スーツの男女が座っており、その女性のマシンガントークが炸裂している。性格のよろしくない知り合い女性の行状についての批判なのだが、淀みなく溢れ出てくる言葉の奔流にただただ圧倒される。考えるよりも先に言葉の方から出てきているとしか思われない。その話をずうっと無言で聞き続けている柳のような男性にも畏敬の念を覚える。自分にはとても無理だと思う。



 行きで「神様のいる街」を読み終えたので、帰りは「本屋の新井」を読みながら。『新文化』に連載したコラムを単行本化したもの。ひとつひとつが短いのでサクサクと楽しく読める。この人の文章の面白さと楽しさは前著で確認済み。もちろん、楽しいだけではない。書店における“図書カード”がどのような存在かを知り、驚く。貰い物の図書カードを使うのは仕方ないとして、職場のイベントの景品などとして大量に書店に発注し、プレゼント包装をしてもらうなどという行為は二度とするまいと思う。

「今、出たところです」。

 今日は、屋内仕事もない日曜日。

 シャワーをやめて、湯舟にお湯をため、ラジオクラウドで“アフター6ジャンクション”の「奥深い『朗読』の世界!」を聴きながら朝風呂。朗読の題材に選ばれた、角田光代さんの母親のキルトについての文章がいい。雑誌『銀花』に掲載された400字原稿用紙1枚の短文だそうだ。母親の趣味の遍歴が最後にキルトに辿り着き、そして母娘の思い出を縫い込んだ大量のキルトを残して母が他界。悩んだ末に娘がそのキルトを全て処分することで、母の記憶をより鮮明なものとして残す決断をするまでが400字で過不足なく書かれている。


 遅い朝食は、アプリ“土井善晴の和食”の動画で見たBLTサンドを作る。ベーコンをそのままではなく細かく切ってカリカリに炒めてトーストに挟むのがポイント。うまい。


 昨日、仕事帰りの本屋で、これを買った。


ビブリア古書堂の事件手帖 ~扉子と不思議な客人たち~ (メディアワークス文庫)


 前作の7巻で一旦完結した物語の後日談の形をとった最新刊。毎回古書が事件の中心になるこのミステリーシリーズを楽しんで読んできたので、これもすぐに読みたい。家にいるとあれこれ他の事に手を出してしまうため、集中して本を読むためには、電車に乗るのが一番なのだ。だから、どこかへ出かける事にする。行き先はやはり本屋がいい。行ったことのない本屋ならなおいい。ということなので、最近小石川にオープンしたと聞いた新刊書店「Pebbles Books」に行くことにする。



 三田線春日駅から歩いていけるらしいので、乗り換えなしでいけるのもうれしい。隅っこの席に体をあずけて、「ビブリア古書堂の事件手帖」の新刊を読む。北鎌倉の古書店ビブリア古書堂の店主・篠川栞子と店員・五浦大輔は結婚し、今は6歳になる娘・扉子もいる。母親の栞子が娘の扉子に過去にあった話を語るという設定で、4つの話が収録されている短編集である。扱われる本は、北原白秋・与田準一編「からたちの花 北原白秋童謡集」(新潮文庫)、佐々木丸美「雪の断章」(講談社)、内田百輭「王様の背中」(樂浪書院)など。これまでのシリーズに出てきた人々がそれぞれの短編に分かれて顔を出す仕組みになっており、常連客を楽しませ、新しい客にはこれまでのシリーズに興味を持たせようという作者の思いが感じられる。特別編とも言えるこの1冊が今出されたのは映画「ビブリア古書堂の事件手帖」が11月に封切られることに合わせたものだろう。テレビドラマ版は個人的には残念な思いが残ったので、黒木華が栞子をやる映画版にはちょっと期待している。



 地下鉄春日駅を出て、白山通りを巣鴨方面に歩き、途中で一本左の道に入る。その道を歩き、ダイエーの先をまた左に入ってこんな所に本屋があるんだろうかと思った駐車場の隣に住宅としてはちょっと雰囲気が違うし、ドアが開けっ放しになっているのが不思議に思える一軒家がPebbles Booksだった。


 第一印象は、ここにあると知らなかったらまず辿り着けない店だなということ。なんか本を手に入れたいから、ここら辺に行けば本屋があるだろうなって場所じゃない。周りにはほとんど商店のない住宅地の中にポツンとあるのだ。ここに店を出すというのは随分思い切った決断だなあと思う。先日行った同じ様な個人経営の新刊書店Titleも駅から離れた場所にあるが、青梅通りという大通りに面しており、周囲は店舗が並ぶ場所であった。それと比べてもここに人を集めるのはなかなか大変だろうな。やはり、snsを含めて口コミで育って行く店なんだろうなとも思う。

 
 単行本、文庫、雑誌と選ばれてそこに置かれているのが分かるが、セレクトショプ的な押し付けがましさはあまり感じない。居心地のいい店だと思う。2階もあるのだが、階段がけっこう急なので、降りる時は少しアトラクション感があって思わず笑ってしまった。地元の書店で買えなかった本を2冊。

  • 「本を贈る」(三輪舎)
  • ヘイドン・ホワイト「メタヒストリー」(作品社)

本を贈る [ 若松 英輔 ]
ASIN:486182298X



 「本を贈る」は批評家、編集者、校正者、装丁家、印刷、製本、書店営業、取次、書店員、本屋という本に関わる10人が本について書いた本。Pebbles Booksの店主である久禮亮太さんも書店員として参加しているためだろうレジ前の棚にもずらっと面陳されていた。

 「メタヒストリー」は大学時代、やれニューアカだ、現代思想だ、構造主義だと言っていた時代にあちらこちらの文章で言及され、当時から翻訳が出ると言われながら、この30年でなかったという曰く付きの本である。二段組で700ページほどの厚い本で、内容が硬い本なので当然部数も少なく、定価も高くなる。もし、浅田彰「構造と力」や中沢新一チベットモーツアルト」がベストセラーになったあの時代に出ていたら、もっと多くの部数が刷られ、定価も数千円に抑えられただろうなあと思わずにいられない。それでも、こんな本が売れないと言われ続ける時代に、諦めずに出版した出版社には賛辞をおくりたい。だから、新しい本屋の出発を祝す意味も込めてこの店で買うことにする。帯に“翻訳不可能と言われた問題作”とある。柳瀬尚紀氏がジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク」を日本語に翻訳して以来、この“翻訳不可能と言われた”という言葉を字義通りには受け取れなくなっている。たぶん、この表現は、翻訳の出版を首を長くして待っていた読者に対して編集者がハニカミながら発したエクスキューズなのだろうなと勝手に納得する。

 初めての店では、カバーを掛けてもらうようにしている。この店は、無地の茶の紙を巻いてくれる。店名の判子を押したりもしない。その潔さもいい(もしかしたら、まだ判子が間に合っていないのかもしれないが。棚に入っていない本の山が置かれていたり、窓枠に何かをとめた名残のネジが残っていたり、取り急ぎ開店しましたという感じが漂っていてそれもいい)。


 店を出ると残暑厳しい午後の日差しが照りつける。途中神保町でレコード屋に寄ってから帰ろうかなと思いつつ、春日駅の方へ歩き始める。

プールバーの時代だったな。

 8月に京都の善行堂を訪ねた時、偶然そこへ西荻ブックマーク関係者の方が居合わせて、9月9日に西荻窪のビリヤード山崎の2階で行われる第101回西荻ブックマーク「南陀楼綾繁×岡崎武志×荻原魚雷 『sumus』から生まれた本のこと【東京編】」の話をしているのを聞き、そうだ帰ったら早速予約をしなくてはと思った。


 そして、9月9日の日曜日。よく晴れた秋晴れというよりは夏の名残りのような日に久しぶりに中央線沿線へと向かう。車中の読書はもちろんこれ。


蒐める人―情熱と執着のゆくえ


 今日の西荻ブックマークはこの本の出版イベントの一環である。この本に収められている本を蒐める人に対する8つのインタビューのうち、語り下ろしの2つを除く6つは全てミニコミsumus』に収録されたもの(八木福次郎編だけは「スムース文庫」が初出)。『sumus』友の会会員としては読んで楽しくないわけがない。それぞれ以前に読んているはずなのだが皆15年近く前のものだけに新鮮に読めた。話題も本と古本屋のことだから今読んでも全然古びていない(というより最初から古びている話題だから問題ない)。スラスラ読めるので、意識しにくいが、ライブで行ったインタビューをこのように読みやすい対話に起こし、編集するのは容易なことではないだろう。ささやかではあるが、職場の会報誌の座談会に参加し、ゲラに赤を入れたり、企画した講演会の文字起こしをやった経験があるのでその見事さが自分なりにわかるのでさすがプロだなあと感心してしまう。


 楽しく読んでいるうちに電車は中央線沿線へ。西荻窪のイベントは夕方からだから、まだ数時間の余裕がある。荻窪駅で下車して、ささま書店へ。

 店頭の均一棚の量の多さは相変わらず。そこから佐野繁次郎装丁の辻静雄「フランス料理の手帖」(鎌倉書房)を100円で。店内では平山雄一明智小五郎回顧談」(集英社)を500円で。「蒐める人」で江戸川乱歩貼雑年譜」を復刻した戸川安宣氏がこの本を褒めていたのを読んだばかりだった。



明智小五郎回顧談



 地下道を通って線路を越え、青梅通りを西荻窪方面に歩く。10分ほどで本屋“Title”に到着。ここに来るのはこれで2度目。こぢんまりしている上に、奥にカフェスペースまであるのに、本屋として不足を感じさせない本の品揃えに満足を覚える。地元の本屋で手に入らなかったこの3冊を購入。

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻
ぼおるぺん古事記 (二): 地の巻
ぼおるぺん古事記 三: 海の巻



 Titleを出て、西荻駅に向かって歩く。残暑が思ったより厳しく、気温も高い。西荻でも古本屋巡りをしたいので、体力温存と途中からバスに乗り、西荻窪駅前で降りる。


 にわとり文庫経由で古書音羽館に向かっている途中にまだ入ったことのない古本屋を見つける。“忘日舎”という店名には聞き覚えがあった。ここにあったのかと思う。Titleよりも小さい空間を贅沢に使っている。本の数は多くない。並べるというよりは本を展示しているという印象。それが一つの雰囲気となって内装や本のセレクトともマッチしていると思う。沖縄、韓国、柄谷行人の本が目に入る。大学時代に柄谷行人日本近代文学の起源」(講談社)を背伸びして読んだ者にとって、見逃せないタイトルの本を挨拶代わりにレジへ。

近代文学の終り―柄谷行人の現在



 音羽館へ。こちらの店頭均一も相変わらずの質の高さを誇っている。ただ、いい本だなあと思うものがすでに持っている本ばかりであることに悔しいような悲しいような気分になる。店内の本もやはり充実している。単行本と文庫をそれぞれ1冊と西荻ブックマークの冊子を選ぶ。


 ブックレットを買ったせいか、レジの方に「これから西荻ブックマークに行かれるんですか?」と声をかけられる。正解。


 イベントは18時スタート20時終了だから、夕食を食べてから行くことにする。だったらと西荻ブックマークの会場としても使われるこけし屋別館のレストランに入る。ポークカレーを食べながら、このレストランの2階で行われた第98回西荻ブックマークの「岡崎武志還暦記念トーク&ライブ」に参加した時のことを思い出す。世田谷ピンポンズのライブがあるなど大盛況だったな。



 18時近くなったので、会場のビリヤード山崎へ。その名の通り、昔ながらのビリヤード場の2階が会場だった。そこに南陀楼綾繁岡崎武志荻原魚雷の『sumus』同人三氏が登場し、楽しいトークが始まる。やはり、自然と話は『sumus』のことに。『sumus』の復刻版の計画が進行中という嬉しい話題が。そして、それに合わせて『sumus』最新号が出せたらいいなという話を出たらいいなと聞いていた。話題に出てきた京都ディランセカンドでの第1回「スムース友の会」、神保町で行われた「スムース友の会」、そして名古屋で行われたスムース同人によるトークショーの全てに参加している自分をちょっと褒めてあげたくなった。誰も褒めてはくれないだろうから。トーク終了後、「蒐める人」に南陀楼さんのサインをもらい、これも持参した「本の虫の本」(創元社)に岡崎さんと魚雷さんのサインをもらう。


 ビリヤードのブレイクショットでそれぞれの活動へと別れた同人が、誰かの巧みなキュー捌きでまた同じポケットに入って一緒になり、『sumus』の最新号となってまた台の上に登場することを願いつつ会場を後にする。


 そういえば、分かった風を装いながら柄谷行人を読んでいた大学時代はまさにプールバーの全盛時代だったことを思い出した。

福島駅から王子駅へ。


 盆休みはあちこち出かけたので今日の休みは自宅でのんびりと思っていたのだが、昨夜、知人のSNSを見ていてどうしても行ってみたい場所が出てきたので急遽予定を変更する。



 それは福島県立美術館でやっている“イラストレーター 安西水丸展”。会期が9月2日までということなので、後1週間で終わってしまう。行くなら今日だ。


 東京駅から東北新幹線に乗って福島駅へ。駅前からバスで福島県立美術館前というバス停まで行く。この美術館に来るのは初めて。敷地の入口から建物の入口までの広々としたスペースと美術館の背後に青々とした緑に囲まれた山がデンと構えているのがとてもいい。この光景にまず気分が何段階かあがる。


 今回はこの展示だけを見にきたので時間は充分ある。2時間近くかけてゆっくりと見る。展示の量も豊富だから時間をかける甲斐もある。電通から平凡社を経て『ガロ』デビュー、そして独立してイラストレーターに。それらの流れを辿るイラストや漫画などの原画や様々なポスター等が展示されている。


 やはり、僕が安西水丸というイラストレーターを認識したのは村上春樹本の装丁者としてなので、“ぼくと3人の作家”のコーナーの村上春樹編が懐かしい(他には嵐山光三郎編と和田誠編)。その意味で「中国行きのスロウ・ボート」が安西水丸デビューになる。一番印象深いのは手書きの文字も配した「蛍・納屋を焼く・その他の短編」かな。



中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)



 2014年3月に亡くなるまでは普通に好きなイラストレーターのひとりだったのだが、その後なぜかどんどん好きの度合いが強くなって行く気がする。シンプルな線で10代で憧れた“西洋的なもの”をシンプルに描き出すその世界に魅かれる。20歳ほど上だけれども高校の先輩であることも親近感を感じる理由になっているかもしれない。


 
 売店で図録や水丸デザインのマグカップなどを買い、満足して美術館を出る。帰りは美術館図書館前駅から福島交通飯坂線に乗って福島駅へ。小さなホームに停まる二両編成の電車は心和むものがある。



イラストレーター 安西水丸


 東北地方に大雨の予報が出ているので、遅めの昼食は駅ビルですます。午後遅い新幹線で帰る。

 駅ビル内の岩瀬書店という本屋で福島の特産品を売っていたので玉鈴醤油の“丸大豆天然醸造手しぼり 福島県産原料しょうゆ 限定品”という濃口醤油を買った。




 車中の読書はこれを再々読。


いつか王子駅で (新潮文庫)


 これが最初に読んだ堀江本。単行本で読み、文庫になってもう一度読み、最近地元の古本屋で見かけて久しぶりに読みたくなって持っているのにもう1冊文庫を買ってしまった。三読してやはりこの本は「本好きの本好きによる本好きのための散文」だなあと思う。この本を読まなければ、名作短編集「雪沼とその周辺」を読むこともなかっただろうし、島村利正の小説を読むこともなかっただろうな。